【柔道】角田夏実が金の涙 “歓喜の涙1号”「すごい」「かわいい」「涙美しい」「超感動」(2024年7月28日『日刊スポーツ』)

金メダルを手に笑顔の角田夏実(AP)
パリオリンピック(五輪):柔道>◇27日(日本時間28日)◇女子48キロ級◇決勝◇シャンドマルス・アリーナ
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歓喜の涙1号” 角田夏実が金メダル!
 
 【パリ=木下淳】世界選手権3連覇中の角田夏実(つのだなつみ。SBC湘南美容クリニック。東京学芸大学卒業)が、日本柔道女子の最年長31歳11カ月で初出場した五輪を制覇した。決勝でバーサンフー・バブードルジ(24=モンゴル)と対戦し、巴投げで優勢を奪って危なげなく勝利した。
 この階級では04年アテネ大会の谷亮子以来20年ぶりとなる、念願の金メダル。日本の今大会「金」第1号は、夏季五輪通算500個目にもなった。
 メダルセレモニーで、君が代が流れ、日の丸が掲揚されると、メダルを首にかけた角田は涙。唇を震わせ、君が代を口ずさむと、涙があふれた。
 今大会、日本選手団の“歓喜の涙1号”は、素晴らしいシーンだった。
 Xでは「角田さん」がトレンド入り。「すごい」「かわいい」「涙美しい」「超感動」と投稿が相次いだ。

【パリ五輪】角田夏実、金メダリストへの“分岐点” 専門学校進学に待ったをかけた高校恩師の存在(2024年7月28日『スポーツ報知』)
 
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角田夏実(左)を高校時代に指導した石渡正明氏(本人提供)
◆パリ五輪 第2日 ▽柔道(27日・シャンドマルス・アリーナ)
 柔道女子48キロ級で角田夏実(31)=SBC湘南美容クリニック=が日本選手団第1号の金メダルに輝いた。決勝で初出場の角田夏実(SBC湘南美容クリニック)がバーサンフー・バブードルジ(モンゴル)を破り、日本勢の夏季五輪通算500個目のメダルを、今大会1号となる金メダルで飾った。
 得意のともえ投げで今年の世界女王から技ありを奪い、最後まで攻め続けて優勢勝ちを収めた。女子48キロ級の金メダル獲得は、2004年アテネ大会の谷亮子(旧姓・田村)以来。谷さんが初出場で銀メダルを手にしたバルセロナ大会の4日後に生を受けた新ヒロインは、最軽量級で20年ぶりに日の丸を一番高く掲げた。31歳11カ月での制覇は東京五輪女子78キロ級で30歳10カ月の浜田尚里(自衛隊)を上回り、日本柔道史上最年長優勝となった。
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 千葉・八千代高時代、柔道に区切りを付け、専門学校への進学を考えていた。大学で柔道を続ける道に進ませた高校時代の恩師の石渡正明氏(61)が当時を振り返った。
 角田を初めて見たのは中学2年の時だった。千葉県の強化講習会で八千代高で練習する機会があり「手足が長くていい選手だな」。楽しみな素材だと感じたが、当時は中高一貫八千代松陰中に在学。「ルール違反だと思って(勧誘で)声をかけることはなかった」。その後、角田は2年時の全中でわずか13秒で初戦敗退。その悔しさから厳しい環境に身を置くことを考え始め、八千代高校を受験するため3年の2学期に公立中へ転校。急展開で縁がつながった。
 石渡監督は指導した千葉県内5校を全て全国大会に導いてきたが、以前は「私のコピーを作れば強くなる」と考えていたという。指導者として経験を積む中で、八千代高在任時は個性を尊重する方針に転換。その頃に出会った角田は個性的な柔道の塊だった。「踊ってるみたいな変な打ち込みをしていたり、ともえ投げも普通は左組みの選手は右足でかけるけど、左足でかけていた」と苦笑する。ただ「試合ではそれなりに決まっている。自分なりに考えながらやっているんだから」と指摘も矯正もしなかった。
 得意技のともえ投げはその後、両足でかける独特のスタイルに進化し、威力を増した。石渡監督は「最初に左足でかけるともえ投げがあったからこそ、両足が使えるようになったんだと思う。高校でダメだろ、反対の足だぞって直していたら、今のような選手にはなっていなかったかもしれない」とうなずいた。
 高校2年時には翌年に控えていた地元開催の千葉国体を見据え、48キロ級から団体戦階級の52キロ級に上げさせた。手足の長さは1階級上でも十分に強みになると見ていた。最終的には48キロ級に戻して五輪代表をつかむ形とはなったが、当時は減量の負担も考え「52キロ級の方が将来性があると思った」。1年時に48キロ級で出場を逃した全国高校総体で、52キロ級に上げた2年時に3位。角田も本人も、日本一を本気で意識するようになった。
 高校では週に6回、3時間の稽古に朝練もあった。練習前のアップから大音量で音楽をかけ、大声を出しながら走る。出稽古に来た選手たちの間で「八千代高校はアップもめっちゃきつい」とうわさになるほど、内容もハードだった。だが、中学までとは比べものにならない練習を積み、臨んだ3年時の全国高校総体は目標としてきた優勝に届かず5位に終わった。
 その直後、一度は限界を感じた角田から進路相談で「ケーキ屋さんになりたい」と告げられた。世界を目指せる素質があると信じていた石渡監督は「インターハイで3位になったのに、何言ってんだ!」と叱責。半ば強引に引き留め、前向きに柔道を続けられるような進学先を必死で探していた時、知人から東京学芸大が強化を始めたとの情報を聞いた。
 すぐに東京学芸大の射手矢岬監督(63)に連絡を取った。角田に提案すると、勉強と両立できる環境に魅力を感じ、進学して柔道を続けることを決断。「学芸大の自由にやらせてくれた環境が角田を育ててくれた。強豪の大学に行っていても、ケーキ屋を目指していても、今はなかった。あの時、柔道を続けるという選択肢を取ってくれて良かった」。金メダリストへの“分岐点”を振り返り、穏やかな笑みを浮かべた。(林 直史)
 
◆角田夏実のあゆみ 詩のライバルから階級変更5年で開花
▽1992年8月6日 千葉・八千代市で生まれる。小2で柔道を始める。
▽08年4月 八千代高に進学。
▽11年4月 東京学芸大に進学。
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母校・東京学芸大の後輩たちのメッセージが書かれた日の丸
▽15年4月 了徳寺学園(現SBC湘南美容クリニック)の所属に
▽16年 グランドスラム東京大会の決勝で阿部詩を下し、国際連盟のワールドツアー初優勝
▽17年 52キロ級で世界選手権に初出場。決勝で志々目愛との日本勢対決に敗れる
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18年11月、GS大阪52キロ級決勝で阿部詩に敗れる
▽19年11月 48キロ級に階級を変更し、講道館杯で優勝
▽21年6月 世界選手権で初優勝
▽同年12月 体重無差別の全日本選手権に出場、体重105キロの相手に勝利
▽22年10月 世界選手権で2連覇
▽23年5月 世界選手権でオール一本勝ち。日本女子3人目の3連覇を達成
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▽同6月 パリ五輪代表に内定
▽同9月 杭州アジア大会に出場。日本選手団金メダル1号に輝き、52キロ級だった18年大会と2階級制覇