パリ五輪日本チームメダルラッシュに関する社説・コラム(2024年7月30・31日)

「日本の馬はいつもたがいにケンカしようとしている…(2024年7月31日『毎日新聞』-「余録」)
 
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パリ・オリンピック総合馬術団体で馬術競技では92年ぶりのメダルとなる銅メダルを獲得した日本チーム=2024年7月29日、ロイター
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1932年ロサンゼルス・オリンピック障害飛越個人で優勝した西竹一陸軍騎兵中尉と愛馬ウラヌス=米ロサンゼルスで1932年撮影
 
 「日本の馬はいつもたがいにケンカしようとしている。全くひねくれていて人になつかない」。トロイ遺跡の発見で知られるシュリーマンは幕末の来日時にこう記した。調教が不十分な馬にあきれたらしい
▲明治政府は欧米に劣る馬の改良を始め、先進馬術を導入した。フランスで学び「日本騎兵の父」と呼ばれたのが秋山好古(あきやま・よしふる)。司馬遼太郎の「坂の上の雲」の主人公、秋山兄弟の兄である
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▲ドイツに学んだ陸軍も騎兵術は仏流で馬術の教官も仏留学手を送りたい
満州事変で米国の対日世論が悪化した92年前。爵位を持ち、組が中心。欧米に追いつき追い越せの到達点が1932年ロサンゼルス五輪の馬術障害飛越で愛馬ウラヌスと共に金メダルを獲得した西竹一(にし・たけいち。硫黄島で戦死)中尉だった
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▲それ以来のメダルである。ベルサイユ宮殿で開かれたパリ五輪総合馬術団体競技で日本代表が英仏に次ぐ3位に入った。開会式に「メタルホース」も登場した馬術の本場での快挙に拍ハリウッドのスターと交流のあった「バロン西」はつかの間の「平和の使者」の役割を果たしながら硫黄島で戦死した。馬術が軍人専門のスポーツだった時代だ
▲今の馬術は男女の別なく参加できるジェンダーフリースポーツ。フランスも拠点を軍から国立乗馬学校に移した。表彰台に立った4人は6年間同じチームで欧米のトップ選手たちと競い合ってきた。「人馬一体」の競技。グラフトンストリート、ジェファーソン、ヴィンシー、セカティンカ。愛馬の名も記録しておきたい。

メダルラッシュ 努力と精神力で逆転呼び込む(2024年7月31日『読売新聞』-「社説」)
 
 パリ五輪は競技が本格化し、序盤から日本勢のメダルラッシュに沸いている。強さを物語るキーワードは、「大逆転」と「チームワーク」ではないだろうか。
 体操の男子団体総合は、日本が最終種目の鉄棒を迎えた段階で、中国に大差をつけられ、2位に甘んじていた。ここで中国の2人目が2度、手放し技で落下し、勝負の行方は、最後に登場するエースの橋本大輝選手に託された。
 橋本選手は東京五輪の金メダリストだが、今大会は予選の鉄棒の着地で転倒し、決勝もあん馬で落下していた。会場には、主将の萱和磨選手の「諦めんな」という声が何度も響き渡った。
 橋本選手は豪快な手放し技を決め、着地をまとめた。優勝が決まると、チーム5人は輪になって抱き合い、萱選手は涙を見せた。
 2大会ぶりの金メダルは、体操日本の強さを改めて示した。橋本選手は「4人のおかげで最高の演技ができた」と語った。内村航平さんという絶対王者が引退した今大会は、チーム力でつかんだ勝利だと言えるだろう。
 スケートボードの男子ストリートも劇的な逆転勝利だった。
 東京大会金メダリストの堀米雄斗選手は、決勝の終盤で3回着地に失敗し、全体の7位で最後の滑走に臨んだ。「泣いても笑っても最後。悔いだけは残さない」と、実戦で1度しか成功していない大技に挑み、2連覇を達成した。
 五輪の選考レースで苦戦し、一時はパリ五輪出場が危ぶまれた。堀米選手は「地獄だった。何をやってもうまくいかない」と振り返っている。苦境を脱し、土壇場で力を発揮できたのは、厳しい鍛錬があったからに違いない。
 柔道では、女子48キロ級の角田夏実選手が初の金メダルを獲得し、男子66キロ級の阿部一二三選手は東京大会に続く連覇を達成した。
 角田選手は52キロ級で東京大会出場を目指したが、阿部選手の妹、詩選手に阻まれ、階級を変えた経緯がある。その詩選手は今回、2回戦で敗れ、兄の阿部選手は「妹の分まで」と奮起した。
 敗戦後に泣き崩れた詩選手は、ここからはい上がって、兄妹の物語の続きを見せてほしい。
 馬術でもチーム力を生かし、92年ぶりにメダルを獲得するなど、歴史ある競技でも健闘が光る。
 困難に打ち勝つ努力と、失敗しても諦めない精神力。選手たちの姿は、大きな感動と共に、今の日本に大切なものを、見る者の胸に伝えてくれている。

体操ニッポン お家芸の金に喝采を送る(2024年7月31日『産経新聞』-「主張」)
 
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体操男子団体総合で金メダルに輝き、表彰台でポーズをとる(左から)橋本大輝、萱和磨、岡慎之助、杉野正尭、谷川航=29日、ベルシー・アリーナ(川口良介撮影)
 
 パリ五輪の体操男子団体総合で、日本が金メダルを獲得した。東京五輪でロシア五輪委に譲った団体王者を奪回した五輪8度目の制覇に喝采を送る。
 エースの橋本大輝があん馬で落下し、ライバル中国との差が開いたが、チーム全体の粘りで根気よく食らいつき、最終鉄棒の演技で中国選手の落下もあり、最後は橋本の見事な演技で締めくくった。
 「あきらめるな」とチームを鼓舞し続けた主将、萱和磨の号泣が印象的だった。
 「体操ニッポン」は過去の五輪でもメダルを量産し、「お家芸」と呼ばれてきた。団体総合では1960年のローマ五輪から東京、メキシコ、ミュンヘンモントリオールと5連覇を飾り、2004年のアテネで28年ぶりに優勝して復活を遂げ、リオデジャネイロでも金メダルを獲得していた。
 この間、伝統を牽引(けんいん)してきたのは小野喬、遠藤幸雄、加藤沢男、具志堅幸司冨田洋之内村航平といった絶対的エースであり、その連なる系譜に、橋本の存在がある。
 ただし、パリの金は一味違った。故障明けの橋本は予選から不調が続き、これをカバーしたのが萱のリーダーシップであり、20歳の若い岡慎之助ら仲間の安定した演技だった。
 橋本は「みんなに助けられた金メダル。最後の鉄棒はみんなの思いを背負って戦えた」と話した。この層の厚さが、伝統競技の強さでもある。
 振る舞いも立派だった。橋本の最後の演技に会場が興奮の頂に達すると、中国の最終演技者のために橋本は観客席に向かって静寂を求めた。
 銀に終わった中国チームも表彰式では、「君が代」演奏の間、記念品を下に置き、直立して国旗に正対した。今後も大会では個人総合、種目別で日中の直接対決の場面が続く。こうした良好なライバル関係が競技全体を向上させる。これが五輪の理想の姿といえる。
 スケートボードの男子ストリートでは、堀米雄斗が東京大会に続いて五輪連覇を果たした。女子も吉沢恋、赤間凜音が金銀フィニッシュで、東京大会の西矢椛に続く日本勢の連覇となった。パリへは、その西矢も代表の座を逃したほど、日本の選手層は厚い。これも新たな、日本のお家芸といえるだろう。

メダルラッシュ 歓声が五輪の物語を作る(2024年7月30日『産経新聞』-「主張」)
 
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金メダルを獲得した阿部一二三に声援を送る観客ら=シャンドマルス・アリーナ(撮影・福島範和)
 
 パリ五輪で日本選手団は上々の滑り出しをみせている。柔道女子48キロ級の角田夏実が金の先陣を切り、男子66キロ級の阿部一二三は東京五輪に続く大会連覇を達成した。
 フェンシング男子エペでは加納虹輝が仏の英雄ボレルを決勝で下して優勝し、スケートボード女子ストリートは、吉沢恋(ここ)と赤間凜音(りず)の10代コンビが笑顔で金銀フィニッシュを飾った。
 競泳男子400メートル個人メドレーの松下知之の銀メダルも見事だった。
 スケートボードの会場では、吉沢が大技を決めると、メダルを争う各国選手がガッツポーズでたたえ、大観衆が同様のポーズでこれに応えた。
 加納は試合会場の「グランパレ」に三色旗が乱舞する完全アウェーの環境を楽しみながら金メダルを手にした。主役は選手だが、勝敗のドラマを盛り上げたのは大観衆である。
 仏は日本の4倍以上、50万人超の競技人口を誇る柔道大国である。柔道会場の熱気は、さらに他を圧した。
 角田は準々決勝で仏の人気者ブクリを、仮設スタンドが揺れる大歓声の中で下し、その勢いで金メダルを決めると静かに一礼して畳を降り、大きな拍手を浴びた。一転して静寂が守られた表彰式では君が代を聴き、涙をあふれさせた。
 強く印象に残るのは、兄とともに五輪連覇が期待された女子52キロ級の阿部詩(うた)である。
 2回戦でまさかの逆転一本負けを喫し、茫然(ぼうぜん)自失の表情で畳を降りると大号泣が場内に長く響いた。詩を、もう泣きやんでおくれと慰めたのは、「ウタ・ウタ・ウタ」と次第に音量を上げた場内総立ちの「ウタ・コール」だった。
 これを伏線に、兄の一二三が決勝の畳に上がると、今度は観客席で「ヒフミ・コール」が始まった。柔道人気が高い仏で阿部兄妹は大会を代表するヒーローであり、ヒロインだった。
 妹の思いと、スタンドの期待に見事に応えて自身2個目の金メダルを手にした一二三は、前回の東京五輪が無観客だったことを問われて、「これが本当の五輪」とも話した。
 パリ五輪における兄妹のドラマも、大観衆の存在抜きには語れない。東京大会が「本当の五輪」といえなかったことは今さらながら大いに残念だった。

五輪に棲む魔物が演出する涙の名場面(2024年7月30日『産経新聞』-「産経抄」)
 
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金メダルを獲得し、表彰台の上で涙を流す角田夏実=シャンドマルス・アリーナ(撮影・水島啓輔)
 パリ五輪で日本選手の金メダリスト第1号となったのは、柔道女子48キロ級の角田夏実選手(31)だった。必殺技のともえ投げが面白いように決まる、まさに快進撃だった。
▼表彰台で日の丸を見上げ、君が代を聞く角田選手の目から、涙が後から後からあふれ出ていた。何度も選考レースに敗れ、階級を52キロから移して初出場を果たした上での快挙だった。苦難の道のりを知れば余計に、歓喜の涙の味わいが増してくる。
▼ところが一夜明けると、涙の意味は一変する。柔道女子52キロ級2回戦で、東京五輪に続いて2連覇を狙う阿部詩選手(24)が、まさかの一本負けを喫してしまった。過去4年間、国際大会で負けがなく、今大会でも優勝候補の筆頭だった。相手は世界ランキング1位の強敵とはいえ、内股で技ありを奪い、試合を優位に進めていた。その最中に一瞬のスキを突かれた。
▼やはり五輪には魔物が棲(す)んでいた。阿部選手は呆然(ぼうぜん)としたまま畳を降りると、コーチにすがりついて、赤ん坊のように号泣した。さすが柔道大国フランスの観客である。阿部選手の悲嘆の大きさを十分理解していた。彼女を何とか慰めようと、会場には「ウタ」コールが沸き起こった。
▼涙には人を発奮させる効果もあるようだ。兄の一二三選手(26)は妹の無念を背負い、それを自らのパワーに変換させたかのようである。鬼気迫る形相で圧倒的な強さを発揮した。スタンドで応援する妹の前で、見事に五輪2連覇を果たした。「妹の分まで頑張りたかった」との名セリフも飛び出した。
▼五輪はまだ始まったばかりである。涙の名場面をこれから何度も見せてくれることだろう。ちょっぴり残酷でいたずら好きの五輪の魔物による粋な演出も楽しみである。

ピカソは泣いている女性をよく描いた。最も有名なのは1937…(2024年7月30日『東京新聞』-「筆洗」)
 
 ピカソは泣いている女性をよく描いた。最も有名なのは1937年の『泣く女』で、大人の女性が大粒の涙を流し、子どものように泣き叫んでいる。モデルは愛人だった女性で、泣いた後にはけろっとしているような人だったらしい
▼大作『ゲルニカ』にも泣く女性が描かれている。スペイン内乱中の無差別爆撃で殺された子を抱く母親が泣いている。この母親にピカソは涙を描いていない。中野京子さんの『怖い絵』によるとあえて涙を加えぬことで本物の悲痛を表現したかったらしい。涙さえ出ない絶望の号泣もあるか
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▼パリ五輪の柔道女子52キロ級で2連覇を目指した阿部詩選手が2回戦で敗退した。試合後、立ち上がれぬほど、泣きじゃくる青い道着を見るのがつらい。号泣の裏にある、ここまでの途方もない努力と重圧を想像する
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▼大粒の涙を流していらっしゃるところを見れば『ゲルニカ』の涙も出ない絶望の号泣ではないかもしれぬと信じたくなる▼無念な敗北だろうが、心を落ち着かせ、敗北に区切りを付けるための前向きな涙だったと願う。この号泣から新章が始まってほしい
▼試合後、観客席で目をはらし、おむすびをほおばる阿部選手の姿があった。ちょっとだけホッとする。こんなドラマのせりふがあったっけ。「泣きながらご飯を食べたことがある人は生きていけます」(坂元裕二さん・『カルテット』)-。
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