「生きていかなくてはいけないのね……。働かなくてはいけないのね。必要なのは、ひたすら働くことだけ!」。ロシアの作家、アントン・チェーホフの4大戯曲の一つ、の幕切れ近く、三女イリーナのセリフである
▲先月発表された政府の「骨太の方針」を読んでいると、そんなチェーホフの言葉が浮かんできた。2030年代に人口減少の加速化が見込まれ、経済成長のためには「生産性向上」「労働参加拡大」が必要だという。まさに「働かなくてはいけないのね」だ
▲夢に見るモスクワへの帰郷はかなわず、幸せも遠のく。「三人姉妹」に限らず、チェーホフは思い通りにならない人生の中で、なんとか現実と折り合いをつけながら生きていく人々を愛情とユーモア、ペーソスを込めて描いている
▲日本では明治時代に紹介されて以来、絶えず上演されてきた。医師としても人々の救済に奔走した作家は120年前の今月、44歳の生涯を閉じた。ちょうどその日に生まれた演出家の千田是也は「社会の発展に対するかれの鋭い洞察」に興味を引かれたと書く
▲200年後、300年後を見据えたセリフがたびたび出てくる。「未来には新しい、仕合わせな生活がきっと訪れる」。そのために仕事をし、苦しんでいるのだと
▲一方で、こんなことも登場人物に言わせる。「千年経(た)ったって人間は相変わらず、『ああ、生きてくのがつらい!』と溜息(ためいき)をついてることでしょう」。チェーホフの言葉が現代にこだまする。
狂信しりぞけた新劇の巨人 編集委員 内田洋一
演出家で名優でもあった千田是也さんといえば、新劇の巨人だった。けれど回顧されることもあまりない。新劇という言葉も、もはや死語とか。明治の末、西欧近代演劇の影響を受け、リアリズムを基調に始められたせりふ劇、そんなふうに注釈しておかないと用いることが難しい言葉となってしまった。
なにしろ関東大震災後の1924年、新劇の拠点となる築地小劇場の旗揚げ公演で初舞台を踏んでいる。渡独してドイツ共産党に入党、帰国後は戦時体制下の弾圧によって投獄された。1944年、東野英治郎らと俳優座をつくっている。
反体制の精神を生涯もちつづけ、同時に左翼の教条主義も嫌った。左右問わず、人間の狂信ほどおそろしいものはないと骨身にしみていたのである。その原点が名前に刻まれていたことはよく知られている。
有名な逸話を「千田是也演劇論集」(第9巻)に収められたインタビューから、ふりかえっておくと、こうなる。
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