第1回日本人口会議であいさつする斉藤邦吉厚相(当時)=東京都内で1974年7月2日
「子どもは2人までに抑える国民的合意を」。今から50年前の1974年7月、政府が後援し、岸信介元首相も出席して開かれた日本人口会議の宣言だ。子ども3人の家庭が珍しくなかった当時、人口が増えも減りもしない「静止人口」を国として目指した
▲石油危機の直後で「人口が増え続けると資源を輸入に頼る日本は行き詰まる」と懸念していた。75年に出生率は2を切ったが、その後は静止どころか急低下した
▲岸氏の孫の安倍晋三元首相がアベノミクスの柱に据えたのは人口1億人維持である。戦後最大の国内総生産(GDP)実現も掲げ、国力増強につなげる狙いが色濃かった。成果は乏しく、「骨太の方針」からも姿を消した