心は男なのに… 苦しみに気付けずごめん 望む人生、応援してよかった 娘から息子になったわが子への思い(2024年6月16日『中国新聞』)

キャプチャ
幼い頃の理壱さんの写真を見つめる女性
 あれは9年前の夏。更新したばかりの運転免許証を手に、わが子は突き抜けたような笑顔を見せた。広島県廿日市市の女性(67)は、喜びいっぱいのその姿が今も忘れられない。名前の欄は「川本絵理」から「川本理壱(りいち)」に書き換えられていた。いろんな思いがこみ上げた。ああ、この子はこんなにも変わりたかったんだ。新しい生き方を応援したのは、間違いじゃなかった―。
 理壱さん(33)は長男、長女に次ぐ第3子。25歳の時に性別適合手術を受けるまでは、一家の末娘だった。幼い頃からやんちゃで、男の子と外で遊ぶのが大好き。ズボンばかりはきたがったが、女性にはさほど気にならなかった。友達を家に連れてくることも多く、小学校生活も順調そうに見えた。
 「あれ?」と思い始めたのは少し後。生理が始まっていてもおかしくないはずなのに、何も言ってこない。相変わらず、制服以外はズボン一辺倒。かわいい下着も嫌がった。春先には「今日だけだから」と学校を休んだ。いつも健康診断の日と重なっていた。
 時折、いつもの笑顔が消える。心が不安定なのか、隣に寝たがる夜もあった。高校時代、腕の傷跡を見つけた時はぞっとした。「自傷行為は許さない」と諭したが、訳を聞いてもはぐらかされた。だからある時、意を決して水を向けたのだ。「ねえ、本当は男の子になりたいんじゃないの?」。返ってきたのは「違うよ」の一言だった。もう、何も聞けなかった。
 「私、どこかでほっとしたのかもしれません」と女性は言う。女の子らしい部分を探してしまう自分もいた。あの子、洗濯や掃除が好きだもの。きっと気のせいよ、と。
 地元の大学に通わせた4年間はむしろ、就職のことが気になった。「公務員になる」と言うが、バイトざんまいの毎日。理由を知らされたのは卒業後だった。ある朝、枕元に手紙を見つけた。「社会に出る前に男になります」。手術費用をためていたらしい。
 「母親が味方にならないでどうする?」。自らに言い聞かせ、真っ先に長男、長女に電話した。どうしたって親は先に逝く。あの子を守ってやってほしかった。なのに自分自身も動揺していたらしい。話しながら泣けてきた。「あやふやに産んじゃった。苦しみに気付いてやれなかった」。すると、いつもは無口な長男が言ってくれた。「母さんのせいじゃない。大丈夫。僕らがいるから」
 ただ、しばらくは乳房や子宮をなくす手術に賛同していいのか、迷いがあった。だから通院には付き添った。待合室では、わが子と同じ悩みを持つ人を多く見た。医師からもさまざまな話を聞いた。生きづらさを誰にも分かってもらえないまま、自死してしまう人もいるらしい。「次第に心は固まりました」
 夫は最後まで渋った。改名後も「絵理壱(えりいち)」と呼んだのは、彼なりの意地だったのか。3年前にがんで入院し、わずか3カ月後に逝ってしまった。傷心を癒やしてくれたのも理壱さんだ。夫の死から1年後、結婚すると聞いた時は本当にうれしかった。
 カミングアウトから10年。「この子の母親で良かった」と女性は言う。思えば、子どもの頃から人の悪口を決して言わなかった。きっと、否定されるつらさを誰より知っているから。優しいだけじゃない。望む人生をつかみ取る強さも見せてくれた。「いろいろあったけれど、家族の絆も強くしてくれた気がします」
 昨年、理壱さん夫妻と暮らし始めた。わが子の第二の人生を、近くで見守る幸せ。今、かみしめる。