1970年に結婚。約3年後、待望の第一子を妊娠しました。妊娠9カ月の時、病院から赤ちゃんに異常があると言われ、急きょ帝王切開で出産することに。しかしその翌日、子どもは亡くなりました。わずか1日の命でした。 【野村花子さん(仮名・70代)】「この日です。この日に亡くなりました」 【野村太朗さん(仮名・80代)】「生まれた時に手足を動かしているのは見ました。(翌日)朝早く6時、7時くらいに『亡くなった』という知らせが来て、会社に行かずに慌てて妻の方に行きました。亡くなった赤ちゃんを抱いたんですけど、すごい重かったです。ずっと抱え続けるのも大変なぐらい重かったです」
【野村花子さん(仮名・70代)】「帝王切開したから入院していたんですけど、出産後3~4日たってから主人から聞かされて、泣き明かしました」 わが子はなぜ亡くなったのか。家族も、医者も、誰も教えてくれず、今も分からないままです。 【野村太朗さん(仮名・80代)】「なんで亡くなったのかも分からない。聞いても答えてくれない。私を相手していないようで、スーッとあっちに行っちゃうんですよ、先生が。聞こえないから言っても無駄だろうと思って、誰も何も説明してくれなかったのかなとも思います」 【野村花子さん(仮名・70代)】「女の子だったんですよ。きっとかわいい女の子に育ったやろうなと思います。本当に残念です」 【野村太朗さん(仮名・80代)】「私そっくりでした、顔が。くせ毛も私そっくりで。だけど妻は赤ちゃんを見てないんですよ。そのことが悔しかったみたいでね」 悲劇は、それだけではありませんでした。
■約2万5000人が不妊手術 約65%は本人の同意なし
その後、どれだけ願っても、2人目の子どもを授かることはありませんでした。 その背景にあったのは…「優生保護法」。“戦後最大の人権侵害”と言われる法律です。 「不良な子孫の出生を防止する」とうたい、障害のある人たちに対して中絶手術や、子どもを産めなくする不妊手術が推し進められたのです。
産婦人科医として、法律が廃止されるまで不妊手術などに携わった医師は、自身が手掛けた手術は「本人の同意を基本としていた」としつつ、こう振り返ります。 【産婦人科医 堀口貞夫さん(91)】「本人が同意しているかどうか、分からないままやったことはあった。(保護者が)『本人が分からないうちにやってください』と、『もともと生まれつきできなかったんだと理解できるぐらい、不妊手術をしたと意識ない時期にやりたい』ということもあった」 Q.手術していることに対してはどう思っていた? 【産婦人科医 堀口貞夫さん(91)】「医者としては反対しているけど、追い込まれている状態で手術していますからね。自分の感覚を殺さなきゃならない。なんであんなもの(法律)があったんだろうと思うわけだから、それをやってしまった、やらざるを得なかった自分の弱さ。そう思っていたのに、こっちが何も動かなかったことは申し訳なかったなと思います」
■不妊手術について40年以上「知らなかった」
不妊手術は、妻の花子さんにも行われていました。聴覚障害を理由に、帝王切開と同時にされていたのです。 【野村太朗さん(仮名・80代)】「当時、帝王切開して赤ちゃんが亡くなったということだけしか知らなくて、私たちは同時に不妊手術をされていることすら知らなかったんです」 【野村花子さん(仮名・70代)】「もちろん私も知らなかったし、主人も知らなかったんです」
【野村太朗さん(仮名・80代)】「しばらくたってから『赤ちゃんができない』ということだけ聞いて、亡くなったから2人目が生まれないという意味で言っているのか、なんでなのかなと分からなかった。だいぶたってから、不妊手術をしたということだと分かった」 【野村花子さん(仮名・70代)】「不妊手術しないでそのままの体でいさせてくれていたら2人目も授かったかもしれないのにと思うと、怒りの気持ちが収まりませんでした。不妊手術をされたことを今でも悔しく思っているんです。なぜ不妊手術を受けなくてはならなかったのか」 花子さんがこの事実を知ったのは、手術から40年以上たった2018年。同じように強制不妊手術で苦しむ人が、裁判を起こしたことがきっかけでした。 なぜ子どもを育てる未来を奪われなければならなかったのか…。
■二審勝訴も国は「不服」と上告
2人は2019年、国を相手取り、損害賠償を求めて訴えを起こしました。 問題となったのは、手術から40年以上がたっていたこと。 民法では、不法行為から20年たつと損害賠償を求める権利がなくなる「除斥期間」という規定があり、国は「2人には損害賠償を求める権利がない」と主張したのです。
手術をされたことすら知らなかったのに、この除斥期間を認めるのか。 一審の大阪地方裁判所は、この法律が憲法違反と指摘したものの、国の主張を認め、損害賠償は認めませんでした。 しかし2022年、二審の大阪高裁は「除斥期間をそのまま認めることは、著しく正義・公平に反する」として、一審の判決を取り消し、全国で初めて国の賠償責任を認めたのです。 長い時間をかけて、やっと救いの手が差し伸べられたものの、国はこの判決を不服として最高裁に上告。結論はいまだ引き延ばされたままです。
【野村太朗さん(仮名・80代 2022年取材時)】「結局、判決は出たんですけど解決というところまではいっていないし、最初は早く終わるものだと思っていたけど、今もこれだけ時間がかかっているのでおかしいなと思っています」 大阪高裁の勝訴判決から2年。ようやく5月29日、最高裁で弁論が開かれました。これは2人が法廷で裁判官に意見を直接述べられる、最初で最後の機会です。 【野村太朗さん(仮名・80代)】「2年ずっと待たされていたことに対してはおかしいなと思う。まさかそういうことを闇に葬ってしまおうと思っているんじゃないかという風に。ずっと後回しにされているのかなと思いました。例えばね、私たちがこの期間に亡くなってしまうかもしれない。そういうことも考えて早く結論を出してほしいなと思います。本当に長いこと待たされています」
娘を失ったあの日から50年。2人は数年ぶりに、娘が眠る場所を訪れました。 【野村花子さん(仮名・70代)】「『元気にしてる?元気でやってるの?』っていう風に娘に語りかけました。娘と話しているような気持ちになって、手を合わせている時はすごくうれしかったです。娘からの力をもらえたので、来週からの裁判がんばりたいと思います。夫婦で共に行って戦いたいと思います。がんばります」