「我が庵は…(2024年6月13日『毎日新聞』-「余録」)

キャプチャ
マンション建設で眺望が遮られる前、日暮里富士見坂から観測されたダイヤモンド富士=東京都荒川区で2012年11月12日午後4時25分、宮間俊樹撮影
キャプチャ
解体されることになった「グランドメゾン国立富士見通り」=東京都国立市で10日
 「我が庵(いお)は 松原つづき 海近く 富士の高嶺(たかね)を 軒端にぞ見る」。江戸城を築城した太田道灌(おおたどうかん)の歌という。景色を遮る建物がない時代だ。徳川の歴代将軍も眺望を楽しんだろう
▲江戸の庶民の間では民間信仰富士講が盛んで、山を模した富士塚も造られた。富士がつく地名も多い。「関東の富士見百景」には7カ所の「東京富士見坂」が選ばれている
▲日暮里富士見坂(荒川区)では富士山が世界文化遺産に指定された11年前まで太陽が山頂に沈むダイヤモンド富士も見えた。しかし、マンション建設でその景色は姿を消した
▲東京・国立市国立駅前円形公園も百景の一つ。約100年前に開発された学園都市は公園から3本の通りが放射状に延びる。富士を望むように設計された富士見通りに建設中のマンションが完成を目前に解体される。周辺住民から富士の一部が隠れると反対の声が上がり、分譲会社が「眺望に与える影響を再認識」して自主的に決めたという
▲国立では高層マンション自体が街の景観を損ねると、住民が高層部分の撤去を求めて分譲会社を訴えた歴史がある。最高裁は訴えを退けたものの「居住者が景観の恩恵を受ける利益は法的保護に値する」という判断を示した
▲ぎりぎりでの解体の決断は、開発と景観をめぐる議論に一石を投じた。富士山見たさに外国人観光客が押し寄せる令和の世だ。浮世絵にも描かれた眺望を失った過去にも目を向け、「日本一の山」を眺められる「恩恵」について改めて考えてみたい。