天安門事件35年 追悼の機会すら許さないのか(2024年6月5日『読売新聞』-「社説」)

 一党独裁の維持と強化のために、わずかに残されていた追悼の機会すら奪う。一切の異論を許さなくなった中国共産党の強権化を憂慮する。
 中国共産党政権が学生らの民主化運動を弾圧し、多数の死傷者が出た天安門事件から4日で35年となった。共産党は事件を「反革命暴乱」と断じ、武力による鎮圧を正当化している。
 中国政府は事件の死者は319人としているが、実際はこれをはるかに上回るとみられている。
 共産党が、犠牲者の遺族らが求めてきた真相の公表や賠償に全く応じず、情報統制を徹底して事件の再評価につながる動きを封じ込めてきたのは遺憾だ。
 中国で事件について知ろうとしてもインターネットで検索すらできない。事件の存在自体を知らない若者が増えている。遺族らの高齢化も進み、中国国内で風化が一層進むのは避けられない。
 懸念されるのは、2012年に発足した習近平政権の下で、人権や言論の自由をめぐる状況が著しく後退していることだ。
 習政権は「国家の安全」を最優先し、ハイテク技術を駆使して国民を監視・管理するシステムを作り上げている。かつて国内では抗議活動が頻発していたが、今では当局に事前に把握され、人々が不満を表明することすら難しい。
 党や政府への批判を放置すれば一党支配崩壊につながりかねないという危機感があるのだろう。
 犠牲者の追悼集会が許されてきた香港でも、反体制活動を取り締まる国家安全維持法(国安法)が20年に導入されて以降、追悼活動は事実上禁じられた。
 国安法を補完するため、今年3月には国家安全条例が施行され、追悼集会を主催してきた民主派団体の元幹部らが逮捕された。事件に関してSNSに「扇動的」な投稿をしたことが理由という。
 共産党による統制強化を嫌って国内から人材が流出している。強権統治が続けば社会や経済の 閉塞へいそく 感が強まり、中国の長期的な発展の妨げになるのではないか。
 日本は天安門事件後、対中制裁を続ける他の西側諸国に先駆けて経済支援の再開を表明した。中国が発展すれば民主化につながると期待したが、見通しは結果的に外れたと言わざるを得ない。
 国内の統制強化の一方で、中国は軍事力を拡大し、東・南シナ海などで現状変更を試みている。日本は米欧と協力し、中国に国際規範を順守するよう粘り強く働きかけていく必要がある。