天安門事件35年と香港 今に続く弾圧を懸念する(2024年6月4日『毎日新聞』-「社説」)
2019年に開かれた天安門事件の犠牲者追悼集会。過去最多の18万人(主催社発表)が参加した=香港のビクトリア公園で2019年6月4日午後8時47分、福岡静哉撮影
東京都内で開かれた天安門事件の犠牲者を追悼し、抑圧統治に抗議する集会=1日午後
1989年6月4日、中国・北京で民主化を求める学生運動が武力弾圧され、多くの死者が出た天安門事件から35年になる。共産党一党独裁体制は習近平政権の下、一段と強まり、経済をはじめ様々な問題が噴出している。今こそ学生を含む一般国民の政治参画を保障する政治改革が必要である。
中国の人々は今、新たな問題に直面している。共産党トップの習氏は、2期10年までだった国家主席の任期制限を撤廃して3期目入りした。権力集中が一気に進んだ結果、社会全体の柔軟性が失われつつある。
新型コロナウイルス感染症対策として長期間のロックダウンを実施し、それが事実上、失敗に終わったのも典型例だ。IT(情報技術)も駆使した厳格な行動監視で国民は自由を奪われ、過剰な規制で経済は停滞した。民間企業は活動の自由が狭まり、若者の失業率も過去最高水準にある。
2022年末には若者中心に封鎖解除を要求する社会運動が全国的に起きた。この「白紙運動」は天安門事件以来となる大規模な若者による意見表明で、硬直的な政策決定を覆す原動力になった。
ただ、その白紙運動に参加した若者らは、後に厳しい弾圧を受けた。拘束された例もある。天安門事件の後、参加した学生らが拘束・逮捕されたのと似ている。この35年、事態は改善していない。
様々な社会問題はそもそも市民が選挙などを通じて政策決定に関与する権利を持たないことに起因する。中国は政治参画を拡大する政治改革を早急に検討すべきだ。中国で民主化が中長期的にどう進むのかは、分断が問題化している世界の行方をも左右する。
一定の自由を享受していた香港でも民主化は後退している。国家安全維持法、国家安全条例の施行で報道の自由はほぼ消えた。中国に批判的な新聞が閉鎖に追い込まれ、創業者も収監された。議会も親中派一色に染まっている。
こうした大きな変化は、外資の香港離れにつながり、香港の経済社会の発展を阻害している。中国は香港住民の生活を圧迫する政策を見直す必要がある。
中国の知識人、経済人、一般国民の一定数が昨今、中国を出て国外に定住し、活動しようとしている。ひとつの拠点が日本の東京だ。今、なぜこんな異例の事態が起きているのか。中国は自らの足元を見つめ直すべきである。
1989年6月5日、北京の天安門広場近くの大通りで、戦車の前に立ちはだかる男性(ロイター=共同)
中国共産党政権が学生らの民主化運動を武力弾圧し、多くの犠牲者を出した天安門事件から4日で35年になる。遺族の会「天安門の母」が今年も当局の責任追及や謝罪を求めたが、共産党政権は無視したままだ。
非人道的で断じて容認できない。
中国では6月4日を前に遺族や人権活動家への監視が強化された。ネット上では天安門事件や関連用語に加え、6月4日を表す隠語の「5月35日」も検閲対象である。異常というほかない。今年の6月4日も外国メディアを通じてこうした現状が世界に発信されることだろう。
中国本土だけではない。一国二制度の下、事件の追悼活動が認められていた香港も「表現の自由」や「集会の自由」が奪われてしまった。香港国家安全維持法(国安法)が2020年に施行されて以降、追悼集会は事実上禁止され、香港大にあった犠牲者を追悼する彫像「国恥の柱」も撤去されたままだ。
国安法を補完するため、3月に施行された国家安全条例違反で先日逮捕された市民たちも、天安門事件の追悼を巡るネット投稿が問題視された。
香港は、共産党政権に支配されれば自由がどのように奪われていくかを示すショーウインドーのようだ。毎年6月4日が近づくと香港の〝ビフォー〟と〝アフター〟が報道され、世界中の人が知るところとなる。
習近平政権は自分で自分の首を絞めていることに気付かないのだろうか。アジア・アフリカなどには中国との関係が深い非民主国家が少なくない。こうした国々で生きる人々も、中国の影響力が強まればどうなるのかが6月4日を通じて分かる。
台湾のように中国への恐怖、反感が広がるのは当然である。これ以上、反中・嫌中の種をまき続けたくなければ、犠牲者数などの情報を公開するとともに責任を認めて謝罪し、恥辱の歴史を清算すべきではないか。
天安門事件後、真相究明と責任問題を曖昧にしたまま、率先して対中制裁を解除したのは日本政府である。岸田文雄政権は苦い経験を忘れず、毎年6月4日を「中国に人権問題の改善を迫る日」としたらどうか。自由を奪われた中国や香港の人々にとって、アジアの民主国家で隣国の日本への期待が小さくないことも忘れてはならない。