■両親に教われず
■対話を重ね学習
「法律あっても救われていない」 SNSで増幅する差別< タネ オカアン ウㇱケ~アイヌ新法5年>㊥(2024年5月18日『北海道新聞』)
「アイヌ民族はもういない」などの書き込みを見て、「許せない」と語るアイヌ民族の女性(写真を一部加工しています)=石川崇子撮影
「アイヌ民族はもう存在しない」
アイヌ民族にルーツを持つ道央在住の30代女性は5年ほど前、保守系ユーチューバーがネット上に投稿した動画を目にし、衝撃を受けた。
「タネ オカアン ウㇱケ」はアイヌ語で「いま私たちがいるところ」の意味です(萱野茂二風谷アイヌ資料館の萱野志朗館長、アイヌ語講師の関根健司さん監修)
アイヌ民族は既に和人に同化していると一方的に訴え、2019年に施行されたアイヌ施策推進法(アイヌ新法)に基づく文化や産業振興のための交付金は不要だという主張だ。
「アイヌなんて見たことない」「税金もらえるなら天国だ」。投稿に対するコメント欄には、動画の内容に賛同する書き込みが数え切れないほど並んでいた。
心臓がぎゅっと締め付けられる。「アイヌ民族は今も生きているのに」。悔しかった。
「それほど強い民族意識はなかった」という女性は、これまでアイヌ文化の活動などに関わったことはない。ただ、祖先への尊敬やアイヌ文化への憧れは持ち続けていた。心を許せる友人には先祖がアイヌ民族だと明かすこともあった。
だが、ユーチューブの動画やコメント欄を見てからは、出自を人に語ることが怖くなった。「アイヌにルーツがあると言ったら、どんなひどい言葉を浴びせられるか。交流サイト(SNS)上の差別発言で、和人とアイヌの間に新たな分断が生まれているように感じる」
2年ほど前から、外出時には必ずマスクをつけるようになった。新型コロナウイルスの感染対策ではない。自分の顔が「彫りが深い」と感じ、隠したかった。
道央のアイヌ民族の女性(61)は差別の形態が変わったと感じている。
十勝管内に住んでいた小中学生時代、同級生らからアイヌ民族であることを理由に罵倒されたり、側溝に蹴落とされたりなどの暴力を受けた。そんな経験から、自ら出自を言わないようにしてきた。
約15年前、趣味について投稿するためにSNSを始めた。匿名のSNS上で自らアイヌ民族だと明かしていたが、5年ほど前からアイヌ民族の存在を否定するメッセージが寄せられるようになった。反論すると、次には「偽アイヌ」などと書き込まれるという。
差別をする人が近くにいるんじゃないか―。恐怖を抱く一方で、やるせない思いを打ち明ける。「私たちが出自を隠してきたことを無視して、『アイヌに会ったことがないから、アイヌはいない』と断言する。存在そのものの否定は子どもの時に受けた差別とはまた違った暴力だ」
アイヌ新法は第4条で「差別することその他の権利利益を侵害する行為をしてはならない」と定めるが、罰則規定はない。自民党の杉田水脈衆院議員=比例中国ブロック=は昨年、札幌、大阪の両法務局に「人権侵犯」と認定された後も差別的な投稿を続け、それに同調する声も後を絶たない。
匿名のSNSの世界で増幅していく差別―。杉田氏の言動に対し、札幌法務局に人権救済を申し立てたアイヌ民族の多原良子さんは、杉田氏への賛同者らから批判を受け続けている。多原さんは「声を上げたことを後悔はしていないが、批判の標的になりたくないと黙ってしまうアイヌの仲間がいるのも理解できる」と話す。
多原さんが代表を務める市民団体は今年3月、アイヌ新法の見直しを求める請願を道内選出国会議員らに提出した。請願には、裁判所や政府から独立して人権問題を調査し、SNS上での差別行為などの停止や損害賠償などを命じて迅速に被害者を救済できる「国内人権機関」の設置を求める項目を盛り込んだ。
神奈川大の山崎公士名誉教授(人権政策論)によると、国内人権機関は「裁判などと比べ、手続きが簡単で費用も安く済むなどのメリットがある」といい、既に英国やフランスなど120カ国で設置されている。日本でも12年に設置に向けた法案が国会に提出されたが、衆議院の解散に伴い廃案になった。
アイヌ新法は、施行後5年で実施状況を検討することにしている。岸田文雄首相は今年2月、見直しについて「必要に応じて所要の措置を取る」と国会答弁したのみで、法改正に向けた具体的な方針は示さなかった。
かつてアイヌ新法の制定に期待した多原さんは、疑問を抱き続ける。「法律があっても私たちは救われていない。差別が放置される社会でいいのか」
山崎名誉教授は「国は実効的な差別禁止の法律をつくるつもりはないのか。現状のアイヌ新法では、『差別禁止』はただのお題目だ」と強調する。(報道センター 武藤里美、木村みなみ)
ゴールデンカムイで高まる関心 「その先」の共感へ、どうつなげる?<タネ オカアン ウㇱケ~アイヌ新法5年>㊦(2024年5月19日『北海道新聞』)
貝沢さん(右)の工房で作品に見入るゴールデンカムイのファン。札幌などから頻繁に通う人も多い
4月下旬、アイヌ民族の伝統的なコタン(集落)を再現した日高管内平取町の二風谷コタンは、多くの家族連れらでにぎわっていた。「ゴールデンカムイの影響で若い人が増えたよ」。コタン横に工房を構えるアイヌ工芸家の貝沢徹さん(65)は、確かな「変化」を感じ取っていた。
「タネ オカアン ウㇱケ」はアイヌ語で「いま私たちがいるところ」の意味です(萱野茂二風谷アイヌ資料館の萱野志朗館長、アイヌ語講師の関根健司さん監修)
ゴールデンカムイは、明治末期の北海道を主な舞台に、日露戦争の帰還兵とアイヌ民族の少女が繰り広げる金塊争奪戦を描いた漫画だ。2022年まで8年間「週刊ヤングジャンプ」(集英社)で連載され、映画化もされるなど、若い世代を中心に人気を集める。
作品ではアイヌ文化や史実を正確に描く。公式ファンブックのインタビューや、アイヌ語を監修した中川裕さん著作の「ゴールデンカムイ 絵から学ぶアイヌ文化」(集英社新書)からは、ゴールデンカムイの作者・野田サトルさん=北広島市出身=が作品に込めた強いこだわりが読み取れる。
例えば、アイヌ民族の暮らしの描写。伝統料理「チタタプ」(たたき)は、エゾリスの骨や肉を無駄なく調理する工程を複数ページにわたって紹介する。コタンの場面では、イテセニ(ござ編み機)やストゥ(制裁棒)といった民具を随所に登場させ、解説も添えた。野田さんは現場を何度も訪ね、地元のアイヌ民族や専門家に丁寧に取材し、時代考証を重ねている。
貝沢さんは15年に野田さんから直接打診を受け、作中に登場するマキリ(小刀)を制作した。連載以降、工房には全国からファンが訪れ、今もマキリの注文に制作が追いつかない。「アイヌ文化を親しみやすいタッチで描いてくれ、これまで興味がなかった人に知ってもらう好機になった」
ゴールデンウイーク(GW)に二風谷コタンを訪れた広島県の会社員久保勝礼さん(53)も漫画を読んでアイヌ文化に興味を持った一人だ。「長く地域に根付いた文化なのに全然知らなかった」。8日間の滞在期間中、道内各地のアイヌ民族関連の施設を巡った。
内閣府が20年に全国の18歳以上を対象に行った「アイヌ政策に関する世論調査」によると、「アイヌの人々が独自の伝統的文化を形成してきたことを知っている」と回答した人は83.2%で、18年の前回調査から17.5ポイント増えた。
白老アイヌ協会(胆振管内白老町)の山丸和幸理事長(75)は「アイヌ文化に触れる機会が増えたことが大きく、今はもっと増えているんじゃないか」と評価する。
実際、アイヌ文化を取り入れる企業や団体は増え続けている。JR北海道は「イランカラプテ(こんにちは)」という案内音声を20年から札幌、新千歳空港の両駅発の特急列車と快速エアポートで始め、今年2月にはアイヌ文様をあしらったラッピング車両を日高線に導入した。苫小牧市を拠点とするアイスホッケーアジアリーグのレッドイーグルス北海道は昨季、文様入りの特別ユニホームを公式戦で採用した。
誤った民族文化の発信を防ぐため、19年から独自の認証制度を設けて道内外の民間事業者らのアイヌ文化活用を監修している一般社団法人「阿寒アイヌコンサルン」(釧路市阿寒町)には、活用の相談が相次ぐ。
アイヌ文様入りの商品開発への助言や、アイヌ料理のレシピを提供。じゅうたんに文様を取り入れたいという相談には「文様はアイヌ民族にとってカムイ(神)であり、人が踏むものではない」と伝えたこともある。
同法人は昨秋、東京都内の雑貨の見本市に初出展した。アイヌ文様をあしらったカードケースや皿を紹介したところ、訪れた都内の着物店の担当者らから「文様の活用を検討したい」との相談が3日間で約100件寄せられた。広野洋理事長(59)は「文様のデザイン性への評価は高い。歴史や文化の正しい理解が消費者まで伝わってほしい」と語る。
ただ、北大アイヌ・先住民研究センターの北原モコットゥナㇱ教授(文化人類学)は「文化の広まりはアイヌ民族を知る入り口にはなる」とした上で、こう指摘する。「楽しむだけではアイヌ民族の苦境を考えることにはつながらない。置かれた現実への共感につなげる施策が必要だ」
アイヌ施策推進法(アイヌ新法)は、アイヌ文化を「アイヌの人々の誇りの源泉」と位置づけ、行政が人材育成や啓発に努めることを明記している。
アイヌ文化への理解は、民間主導で少しずつ進んではいる。その先に危機にあるアイヌ文化の復興や差別解消を実現できるか。日本社会にはなお大きな課題が突きつけられている。