コロナ5類1年 危機対応の検証尽くせ 反省なくして国民の命守れぬ(2024年5月15日『産経新聞』-「主張」)

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アストラゼネカ製の新型コロナウイルスワクチン(AP=共同)
 新型コロナウイルス感染症法上の位置付けが、季節性インフルエンザと同じ5類になってから1年が経過し、社会は日常を取り戻している。
 政府は司令塔となる「内閣感染症危機管理統括庁」を令和5年9月に発足させた。7年4月には「国立健康危機管理研究機構」を設立する。
 だが、体制を整えるだけでは不十分である。最も肝心なことが行われていない。危機管理の強化に向けた、コロナ対応の徹底検証と失策への反省だ。それなくして、国民の命を守ることはできない。導き出される教訓を後世に残し生かすのは、現世代の責務である。
国会も報告書の作成を
 政府の有識者会議は4年6月に対応を検証した報告書をまとめてはいる。だが21ページしかなく、聞き取りは経済団体、医療団体などのほか、専門家数人に短時間実施したにすぎない。
 平成23年の東京電力福島第1原発事故では、政府は有識者の調査委員会を設置し、延べ772人から聞き取りを行った。検証や提言などを盛り込んだ報告書は448ページに及ぶ。国会も調査委を発足させ、延べ1167人にヒアリングを行い、641ページの報告書をまとめた。
 新型コロナの記憶がこれ以上薄れないうちに聴取を行い、岸田文雄首相は国民に向かって検証結果を発信すべきだ。国会も取り組んではどうか。
 振り返るべき事柄は多く、少なくとも5つある。1つは水際対策だ。国内初の感染確認は令和2年1月15日である。政府は当初、中国全土ではなく湖北、浙江両省からの入国禁止にとどめた。事態の深刻さを理解していなかったのではないか。
 政府チャーター機武漢市から帰国した2人が検査を拒み、自宅に帰ってしまう事態も起きた。安倍晋三首相(当時)は法的拘束力がなかったと説明したが、根本から緊急事態への備えを欠いていたことが露呈したといえる。
 2つ目は検査と隔離が徹底されなかったことだ。厚生労働省は当初、検査体制の拡充に消極的だった。
 新型コロナは無症状の人でも他の人に感染させる性質がある。症状が表れた人を隔離すれば済む問題ではないところに、対策の難しさがある。だからこそ検査を徹底的に行う必要があった。だが、安倍首相が検査体制の強化を求めても、医系技官を中心に厚労省は抵抗し、体制は遅々として整わなかった。
 国政選挙と国会の首相指名選挙を経て、民主的に選ばれた首相の指示に官僚が従わない事態は、民主主義国家においてあってはならないことである。
 3つ目は医療体制の逼迫(ひっぱく)だ。病床が不足したり、空床があっても看護師などの医療人材を確保できなかったりした。その結果、治療の必要な人が入院できないという深刻な事態が相次いだ。政府が緊急時に限って、民間病院が多い日本の医療機関に強い権限で介入することは、いまなお残る重要な課題だ。
ワクチン敗戦忘れるな
 軽症者らへの宿泊療養施設が十分確保されなかったことや、入院調整などを行っていた保健所の人員が足りず逼迫したことも忘れてはならない。
 4つ目は緊急事態宣言、蔓延(まんえん)防止等重点措置の発令や、それに伴う飲食店の休業と営業時間短縮をめぐる問題だ。休業などは協力要請が基本で強制ではなかったため、補償の在り方が曖昧となり、責任の所在をめぐり政府と自治体が対立した。都市封鎖(ロックダウン)の必要性も含め、この分野でも政府の権限強化の議論は必要だ。
 5つ目は国産のワクチン開発が遅れ、欧米からの調達を待たざるを得なかった点である。政府はワクチン開発に関し、平時から危機意識をもって取り組んでこなかった。そのつけを払わされたのが国民だ。「ワクチン敗戦」は苦い記憶である。
 全国の小中高校の一斉休校や原則無観客の東京五輪パラリンピックなど、検証すべきことはほかにもある。
 未知のウイルスに対する政策判断の誤りは起こり得る。重要なのは、まずは取り得る対策を積極的に講じ、必要に応じて軌道修正することだ。救える命が救えない悲劇を繰り返してはならない。そのためには徹底検証と反省が求められる。
 政府は6月に感染症対応の行動計画改定案を閣議決定するが、検証結果に応じた修正をためらってはならない。