獄中の袴田巌さんが手紙につづった「無実」 高杉晋吾さんと往復書簡 「彼はなぁ、本当に正しいんだよ」(2024年5月19日『東京新聞』)

 1966年の静岡一家4人強盗殺人事件の犯人とされ、長く死刑囚の身に置かれてきた袴田巌さん(88)。第三者で最初に冤罪(えんざい)を訴えたのが、今は病床にあるルポライター高杉晋吾氏(91)だ。未公開の往復書簡に目を通すと、強要・誘導された疑いが濃い供述調書、捜査機関の証拠偽造の可能性に着目し、無実の証明に奔走する様子がうかがえる。22日の再審公判結審を前に2人のやりとりを振り返る。(西田直晃)
 たかすぎ・しんご 本名は石川晋吾。1933年、秋田市生まれ。戦時中は満州(現・中国東北部)の鞍山市で過ごし、米軍の爆撃で母と姉を亡くす。早稲田大卒業後、「社会新報」記者を経てフリーに。冤罪のほか部落問題や産業廃棄物、精神医療などをテーマに取材。1981年の著書「地獄のゴングが鳴った 無実のプロボクサー袴田巌」は、2014年に「袴田事件・冤罪の構造 死刑囚に再審無罪へのゴングが鳴った」として復刊された。
◆最初の手紙に「近いうちに面会に行きます」
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ルポライター高杉晋吾氏
 〈多くの無実を叫ぶ人々の場合、有罪の判決が出たところで、その有罪の根拠となった証拠そのものが、自白、物証、証言等々、あらゆる偽造が無人の野を行くがごとく、まかり通っている(中略)近いうちに面会に行きます〉
 1979年8月1日。一、二審で死刑判決を受けて上告し、東京拘置所にいた袴田さんに、高杉氏が初めて送った手紙だ。この直後、雑誌「現代の眼」(廃刊)9月号に「袴田事件 元ボクサーの落ちた陥穽(かんせい)」と題した記事が掲載された。
 この記事ですでに、高杉氏はいくつかの不審点に触れている。犯行着衣が起訴時のパジャマから、袴田さんの勤務先のみそタンク内で事件の1年2カ月後に見つかった「5点の衣類」に変更されたこと。控訴審での装着実験の際、そのズボンを袴田さんがはけなかったこと。捜査段階の45通の自白調書のうち、1通の検察官調書を除く44通が証拠から排除されたこと…。最高裁で死刑が確定する1年4カ月前のことだ。
◆「権力の魔手に徹頭徹尾かけられ…」
 袴田さんはこう返信し、両者の交流が始まった。
 〈権力の魔手に徹頭徹尾かけられた、いわゆるイケニエにある弱い衆人達の筆舌に尽(つく)せない心底からの憤怒の念を、やがて一掃してくれる〉(同年8月4日)
 〈先(ま)づ、第一にやらなければならないことは、いっさいの虚偽を虚偽として確認することだと思います〉(同年8月20日

日課のドライブに出発する袴田巌さん=4月、浜松市内で
 袴田さんの再審弁護団が訴える「捏造(ねつぞう)」という文言こそ見当たらないが、証拠のでっち上げが存在したという認識で両者は一致していた。その後の手紙のやりとりは主に、高杉氏の質問に袴田さんが回答する形で進む。証拠採用された66年9月9日付の検察官調書については、こうだ。
 〈本件調書内容のような型で押し付けられたら万事休すの筈(はず)です(中略)検察官は前以(も)って、九月九日付調書の如(ごと)く、その内容のストーリーを自らの大学ノートに書き込んでいたと思われます。その理由は九月九日の取調べの際、大学ノートを書記官に手渡し、何んのことはない丸ごと写させたのです。それ故に、文字通り、矛盾の大集成たる調書が存在する〉(79年9月1日、検察官は実名表記)
◆消火に加わった様子を説明
 往復書簡は現在、高杉氏と親交が深い「袴田巌さんの再審を求める会」の十川正さん(71)=東京都小平市=が中身を精査している。「回答を足掛かりに無実を証明するため、さまざまな質問を袴田さんにぶつけていた。再審支援の井戸を掘った人。他の取材でも同じだが、弱い立場にある袴田さんの目線で動いてきた」と回想。「死刑確定直前の手紙には特に、切迫感に満ち、鬼気迫る袴田さんの思いが伝わってくる」と話している。
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東京拘置所の袴田さんが初めて高杉氏に宛てた手紙
 袴田さんは高杉氏への手紙に、「アリバイがない」とされた事件当日の6月30日の行動も記載。出火した被害者宅の消火に加わった様子などを説明していた。
 〈サイレンと、火事だ、近いぞというような声で起こされました。同僚2人が慌てて寮の階段を降りていったようでした。私も跳ね起きて彼等(かれら)に続きました〉
 〈裏口に駆けより扉を探しました。(中略)断片的には、同僚が私に消火品、消火品といっていたこと。ホオスを誰かと共に出し、それに三、四人たかって引張(ひっぱ)り伸したこと。線路の下の石を取り、ホオスをそこに通したこと〉
 〈(土蔵の物干し場に立った)男は土蔵を指差し、この中に人が居るといいました。そして、よしバールを持ってくるといって降りていきました。その男は赤シャツを着ていた〉(いずれも79年12月25日、同僚は実名表記)
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高杉氏が月刊誌「現代の眼」1979年9月号に掲載した記事
 捜査官の調書にはこれらの内容は記されず、確定判決では「鎮火に近いころ、被告人が火災現場に姿を見せるまでの間、被告人の姿を何処(どこ)かで見たという者も認められない」と袴田さんの訴えは退けられた。十川さんは「手紙には当日の状況が詳細に描写され、現場にいた人の服装や行動も詳しく書かれている。十分、反証になり得る内容だ」と強調する。
◆袴田さんの行動を細かく質問
 高杉氏はさらに、その後の4日間の行動も細かく尋ねていた。
 〈できれば午前・午後。さらに詳しくは、午前何時ごろは誰々とこう云(い)うしごとを、どう云う場所でやったのかを困難ですが想い出して下さい(中略)これが確定して行けば、(5点の衣類を)味噌(みそ)タンクに仕込む時間が成立しなくなる〉(79年12月12日)
 静岡県警が最初に袴田さんを任意聴取したのは、7月4日。この日の早朝、寮の袴田さんの部屋を家宅捜索し、新聞各紙はこぞって「有力容疑者」と報じた。以降逮捕される8月18日まで、常に警察やマスコミの監視下に置かれていた。
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ルポライター高杉晋吾氏
 5点の衣類がタンクに入れられた時期について、二審の東京高裁は「事件直後」と認定。袴田さんの犯行着衣とすれば、本人が怪しまれずにタンクに隠せるのは7月4日までしかあり得ないと、高杉氏は検証を試みた。袴田さんは同僚の氏名や具体的な時刻を交えながら、どのような仕事をしたか、約70キロ離れた実家にいつ帰省したかなどを返答。高杉氏は「常識で考えて隠せるわけがない」との思いを強くした。
 その後の支援者の検証実験が奏功し、5点の衣類は有罪証拠でなく、無罪証拠に変化しつつある。静岡地裁は2014年、衣類を「犯行着衣でも袴田さんのものでもない」と指摘し、約48年ぶりに釈放。あらためて再審開始を決定した東京高裁は昨年3月、袴田さんが衣類をタンクに入れることは「事実上不可能」と認定。第三者がタンクに隠した疑いに触れ「捜査機関の可能性が高い」と言及した。
◆1989年ごろまで文通と面会は続く
 袴田さんの死刑確定後、高杉氏は「無実の死刑囚・元プロボクサー袴田巌を救う会」を立ち上げ、袴田さんの拘禁症状が悪化する1989年ごろまで文通と面会を続けていた。高杉氏のもとに届いた手紙は280通を超える。90年代以降は直接の支援から離れた。
 数年前に脳梗塞を患い、会話が不自由になっている。今月中旬「こちら特報部」の取材に応じ、「(袴田さんへの思いは)これまでに書いてきた通りだ」と短く語った。再審開始決定が一時取り消された6年前を思い出した様子で、「再審無罪の結果がひっくり返ってしまわないか、心配だ」と話し、涙ぐんで、こう繰り返した。
 「彼はなぁ、本当に正しいんだよ」
◆デスクメモ
 袴田さん捜査の矛盾とボクサーの日々を描いた高杉さんは今91歳、袴田さんは88歳、姉ひで子さんは91歳だ。1月に死去した西嶋勝彦弁護士は82歳。対する検察や警察は、担当者が交代して争い続ける。後任に引き継げば、歳月の痛みは感じないのか。組織も人間らしく対応すべきだ。(本)
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袴田事件・冤罪の構造: 死刑囚に再審無罪へのゴングが鳴った (単行本 ) ハードカバー – 2014/6/20
高杉 晋吾(著)
袴田事件が、冤罪であることを初めて指摘した原点の書、待ちの復刊!江川紹介子氏推薦!
*原著『地獄のゴングが鳴った―無実のボクサー袴田巌』(三一書房刊)
1966年6月30日未明、静岡市(旧静岡県清水市)のみそ製造会社の専務宅から出火し、炎跡から一家4人が他殺体で発見された。 静岡県警は社員寮の部屋で被害者の血を浴びたパジャマがあったとして、従業員だった袴田巌氏を強盗犯罪容疑で袴田氏は無罪を主張したが、静岡地裁は68年、死刑を言い渡し、80年に最高裁で死刑が確定した。再審請求で、静岡地裁は2014年3月27日死刑と拘置の執行を停止決定する。 無罪の蓋然性が相当程度あることが損なわれた現在、拘置をこれ以上継続することは、我慢強いほど正義に向かって状況にあると言うしかない(袴田事件再審裁判要旨より)

【特別寄稿】検察は「間違い」への姿勢を間違えた 袴田さん再審公判を傍聴して デイビッド・T・ジョンソン/ハワイ大教授(2024年4月25日『静岡新聞』)
 現在の静岡市清水区で1966年、みそ製造会社の専務一家4人を殺害したとして死刑が確定した袴田巌さん(88)の第14回公判が24日、静岡地裁(国井恒志裁判長)で開かれ、検察側と弁護団の双方が立証をほぼ終えた。最終盤を迎えた袴田さんの再審は海外の研究者の目にどう映るのか。日本の刑事司法に詳しく、実際に地裁で傍聴した米国・ハワイ大のデイビッド・T・ジョンソン教授(社会学)が静岡新聞に寄稿した。
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デイビッド・T・ジョンソンさん
 静岡で4人を殺害した罪で68年に死刑判決を受けた袴田巌氏の再審裁判を傍聴するため、3月に静岡に行った。袴田氏は、200時間を超える取り調べの末に強要された自白や、検察側が殺害当夜に袴田氏が着ていたと主張する血のついた5点の衣類など、極めて疑わしい証拠に基づいて有罪判決を受けた。
 今回の再審で最も重要な証拠は、その衣類である。殺人事件から約1年2カ月後、現場近くのみそタンクから警察によって「発見」された。2014年と2023年、この衣類について二つの異なる裁判所が、袴田氏にぬれぎぬを着せるために警察が仕組んだものだろう、と述べている。
 再審における重要な公判が3月25日、26日、27日に開かれた。傍聴席は抽選で割り当てられ、私は27日に傍聴できた。3日間とも、重要な争点は、衣類についた血痕が1年2カ月間みそタンクに漬かっても赤く見えるかどうかだった。弁護側は「ノー」と言い、その主張は3人の専門家証人の証言や、血のついた衣類とみそを使って行われた実験の証拠で裏づけられた。
 これに対し検察側は、1年以上みそに浸しても衣類の血痕が赤く見えることは「あり得る」と主張した。
 この主張には二つの大きな問題があった。第一に、検察側の証人2人のうち1人は、衣類についた血液のシミは、これほど長期間みそに浸せば赤く見えない、と繰り返し述べている。言い換えれば、この再審における唯一最も重要な争点について、検察官自身の証人が弁護側の主張を強く支持する証言をしたのである。
 第二に、健全な刑事司法制度の大前提として、合理的な疑いを超えて被告人が有罪であることを示す立証責任を検察官が負うことになっている点である。しかし袴田氏の再審では、検察は、みそに長時間浸しても血痕が「確実に」「間違いなく」赤いままであることを証明しようとしなかったし、「多分」「おそらく」赤いままであることを証明しようともしなかった。
 彼らはただ、赤い色が残る「可能性がある」と主張しただけである。仮に主張が正しかったとしても(科学的にはそうではないことが示唆されている)、殺人を有罪にするには十分ではないし、近くすらない。
 私は30年以上にわたって日本の刑事司法を研究しており、著作では日本の制度の称賛に値する側面をたびたび認めてきた。しかし今回、私はぼうぜんと首を横に振って帰ってきた。
 もし事件が1966年ではなく2016年に起きていたとしたら、検察がこれほど乏しい証拠で袴田氏を起訴するはずがない。ではなぜ検察は、合理的な疑いが山ほどあるにもかかわらず、殺人罪での有罪判決を執拗[しつよう]に求めるのだろうか?
 この疑問に対する答えは大きく分けて二つあると思う。第一に、裁判所とメディアは、(血まみれの衣類の写真を含む)何十枚もの無罪方向の証拠を(何十年もの間)開示しなかった検察の責任を追及するという役割を全く果たしてこなかった。検察が正義を損なう利己的な行為に対し何の罰則も受けないのであれば、検察は何度でも間違ったことをするようになる。この点で、袴田事件は一過性のものではない。同様の不祥事はこれまでにも何度も起きており(足利事件布川事件、東住吉事件、湖東事件など)、裁判所やメディアがそれを許す限り、今後も起こり続けるだろう。
 第二に、検察は間違えることはできない―間違ってはならない、間違えることは許されない―という日本の検察文化の核となる信念である。この信念は、有罪率が99%を超えるという結果をもたらしている一般的に慎重な起訴方針の理由の一つである。しかし、この信念は、その捜査方針が誤りであるという明確で豊富な証拠があるにもかかわらず、検察官が方針の追求に固執する原因でもある。
 検察の「間違う」ということについての考えは間違っている。間違いを犯すことは普通であり、避けられないことであり、間違いを犯すことは学び、変わるための貴重な機会なのだ。
 袴田氏の無罪が確定した後、すべての検察官がこの事件で犯した過ちについて真剣かつ持続的に反省することを望む。その誤りの影響は計り知れない。現在88歳の袴田氏にとっては、遅きに失した感がある。彼は妄想の世界に生きており、自分の法的状況をおぼろげにすら認識していない。袴田氏は無数の支援者の義憤と寛大さの恩恵を受けているが、彼の人生が修復不可能なほど台無しにされたことは明白な事実である。
 検察官が目を覚まし、自分たちが間違っていることに気づけば、このような災難を再び起こさないようにすることができるだろう。
 デイビッド・T・ジョンソン教授 1960年生まれ。フルブライト奨学金を得て92~95年、日本に滞在。この間、国連アジア極東犯罪防止研修所(東京)でも従事した。著書『アメリカ人のみた日本の死刑』(岩波新書)で、刑事司法分野への業績が評価されて2020年度の守屋賞を受賞。10年前には静岡市清水区の事件現場を歩いたこともある。
■英文全文は次の通り
In Hakamada’s Retrial, Prosecutors Are Wrong about Being Wrong David T. Johnson, Professor of Sociology, University of Hawaii
In March I went to Shizuoka to watch the retrial of Hakamada Iwao, who was sentenced to death in 1968 for the murder of four people in Shizuoka.Hakamada was convicted on the basis of highly dubious evidence, including a confession that was coerced after more than 200 hours of interrogation, and five articles of blood-stained clothing that prosecutors claimed Hakamada wore on the night the killings occurred.
The most crucial evidence in this retrial is the clothes. They were “discovered” by police in a miso tank near the crime scene some 14 months after the murders. In 2014 and again in 2023, two different courts said the clothes were probably planted by police in an effort to frame Hakamada.
The key sessions in Hakamada’s retrial were March 25-26-27. Seats for spectators were assigned by lottery, and I was able to observe the session on March 27. On all three days the key question was whether the blood stains on the clothes would still appear red after soaking in a tank of miso for 14 months.
The defense said no, and their claim was supported by the testimony of three expert witnesses and by evidence from experiments conducted with bloody clothing and miso.
In contrast, the prosecution argued that “it is possible” for blood stains on clothing to appear red even after soaking in miso for more than a year. There were two major problems with this claim.
First, one of the prosecution’s two expert witnesses stated repeatedly that blood stains on clothing would not appear red after such a prolonged soaking in miso. In other words, on the single most important issue in this retrial, the prosecutor’s own expert witness gave testimony that strongly supported the argument of the defense.
Second, the fundamental premise of any sound system of criminal justice is that prosecutors bear the burden of proof to show that the defendant is guilty beyond a reasonable doubt. But in Hakamada’s retrial, prosecutors did not try to prove that blood stains would “certainly” or “surely” remain red after prolonged immersion in miso, nor did they try to prove that the stains would “probably” or “likely” remain red. They merely argued that “it is possible” the red color would remain. Even if this claim were correct (and the science suggests it is not), it would not be enough to convict a man of murder. It is not even close.
I have been studying criminal justice in Japan for more than 30 years, and my writings have frequently acknowledged aspects of the Japanese system that deserve praise. On this occasion, however, I came away shaking my head in dismay.
If the murders in Shizuoka had occurred in 2016 instead of 1966, there is no way prosecutors would charge Hakamada on such scant evidence. Why, then, do prosecutors persist in seeking to convict a man of murder when there is a mountain of reasonable doubt?
I believe there are two main answers to this question. First, courts and the media have done a terrible job of holding prosecutors accountable for their egregious failures to disclose (for decades) dozens of pieces of exculpatory evidence (including photographs of the bloody clothing) that eventually enabled the defense to persuade courts that Hakamada deserves a retrial.
When prosecutors pay no penalty for self-interested actions that undermine justice, they are emboldened to do the wrong thing again and again. In this respect, Hakamada’s case is not a one off. Similar misconduct has happened many times before, and it will continue to happen as long as courts and the media let it.
Second, a core belief in the culture of Japanese prosecution is that prosecutors cannot be wrong – they must not be wrong, and they are not allowed to be wrong. This belief is one of the main reasons behind a generally cautious charging policy that results in a conviction rate that exceeds 99 percent. But it is also what causes prosecutors to persist in pursuing a course of action despite clear and abundant evidence that the course is mistaken.
Prosecutors are wrong about being wrong. They need to realize that making mistakes is normal and inevitable, and that being wrong provides a precious opportunity to learn and change.
After Hakamada is acquitted, I hope all prosecutors will reflect in a serious and sustained way about their mistakes in this case. They are legion. It will be too-little-too-late for the 88-year-old Hakamada, who now lives in a world of delusions, not even dimly aware of his own legal situation. He has benefited from the righteous indignation and generosity of countless supporters, but the plain truth is that his life has been ruined beyond repair. If prosecutors wake up and realize that they are wrong about being wrong, they can help prevent this kind of calamity from happening again.
David T. Johnson is Professor of Sociology at the University of Hawaii at Manoa and the author of many works on Japanese criminal justice, including Amerikajin no Mita Nihon no Kensatsu Seido (Springer, 2004), Amerikajin no Mita Nihon no Shikei (Iwanami Shinsho, 2019), and Kensatsu Shinsakai (Iwanami Shinsho, 2022).