学術会議法人化 不当な圧迫押し返さねば(2024年4月29日『信濃毎日新聞』-「社説」)

 日本学術会議を国の組織から切り離して法人化することが、既定路線であるかのように推し進められようとしている。黙って見過ごすわけにいかない。
 内閣府が、学術会議のあり方を話し合う有識者の懇談会の下に、二つの作業部会を新たに設けた。組織の体制、会員の選考についてそれぞれ検討する。
 各部会の議論を踏まえて懇談会が報告書を取りまとめ、政府が法案化する段取りだ。とはいえ、内閣府の筋書きに沿って事が運ぶのは目に見えている。
 日本の科学者を内外に代表する組織である学術会議は、国の「特別の機関」と位置づけられ、政府からの独立と自律が法で保障されている。組織や会員選考のあり方は本来、学術会議が主体的に考えるべきことであって、政府が押しつけてはならない。
 有識者の懇談会は昨年12月に中間報告をまとめ、内閣府の法人化案を追認した。懇談会の議論は非公開で、結論ありきとしか受け取れないやり方だった。
 その後すぐに内閣府は、法人化の考え方を示している。組織の運営に外部の目を入れる評価委員会や、業務の執行状況を監査する仕組みを設け、会員の選考にも助言委員会を置くことが柱だ。
 委員の人選などを通じて政府が介入する余地が生まれ、活動が監視の下に置かれかねない。独立と自律は根底から揺らぐ。
 国費で賄っている財政についても、外部の資金による「財政基盤の多様化」を打ち出した。公的な支えが細り、学術会議の実質的な解体につながる恐れがある。
 法人化は自民党が2020年に提言した。当時の菅義偉首相が会員の任命を拒んだことを発端に、政府、自民党は学術会議のあり方に矛先を向けた。
 任命拒否は明らかな権限の逸脱であるにもかかわらず、いまだ撤回されず、政府は経緯に関する公文書も開示していない。任命を拒まれた学者らは今年2月、開示を求める裁判を起こした。うやむやに済ますわけにいかない。
 学術会議だけにとどまらない問題だ。学問の自由への圧迫が言論や思想の弾圧、統制につながったことを戦時下の歴史は教える。
 学術会議はあらためて声明を出し、法人化に懸念を表明したが、後押しもなく政府に要請を重ねるばかりでは状況は変わらない。政治権力による圧迫を押し返すだけの支えが要る。開かれた議論の場を自ら設け、広く関心を呼び起こしていくことが欠かせない。