熊本地震から8年 県主催の追悼式に遺族も参列(2024年4月14日『NHKニュース』)

熊本地震で最初の震度7の揺れがあった日から14日で8年です。熊本市では、遺族も参列して県主催の追悼式が行われました。

2度の震度7の揺れを観測した8年前の一連の熊本地震では、災害関連死も含めて熊本県大分県であわせて276人が亡くなり、熊本県内では19万8000棟余りの住宅が全半壊するなどの被害が出ました。

最初の震度7の揺れがあった日から8年となる14日、熊本市にある県庁の防災センターでは県主催の追悼式が行われ、遺族などおよそ30人が参列して全員で黙とうしました。

蒲島知事は「私たちには熊本地震の経験や教訓を国内外に広く伝えていく責務があります。記憶を風化させることなく、安心して幸せに暮らせる熊本を築いてまいります」と述べました。

このあと、参列した人たちは「祈念碑」に花を手向けて祈りをささげていました。

4期16年つとめ15日に退任する蒲島知事は式のあと取材に応じ、「ご遺族には『命を救うことができず至らない知事で申し訳ありません』と声をかけました。在任中でいちばん苦しい出来事だったが、新しい知事には一人ひとりに寄り添って復興を進めてほしい」と話していました。

また、16日に知事に就任する木村敬さんは「県民の命と暮らしを守る決意を新たにしました。震災の記憶を風化させず、県民の防災意識を高める取り組みを続けていきたい」と話していました。

母親を亡くした遺族「いつも母がそばにいる感覚」 

県主催の追悼式には、母親を亡くした熊本市の冨永真由美さん(65)も参列しました。

同居していた89歳の母親、津崎操さんは地震の後、冨永さんと車中泊をする中で体調が悪化して病院で亡くなり、災害関連死に認定されました。

冨永さんは「私が話すことをいつもそばで聞いてくれた、見守ってくれた母でした。8年がたった今でも、いつも母がそばにいる感覚で私から母に話しかける日々が続いています」と話しました。

そのうえで「熊本地震を深く、自分の経験として身に刻むことができました。これから先、何があっても納得できるような人生を過ごしたいです」と話していました。

また、ことし1月に能登半島地震が発生したことを受けて「天災だけは防げないところがあり、次への備えにしなければならないと思います。小さな子どもでも、心構えを身につけられる社会になってほしい」と話しました。

大学生の息子を亡くした遺族「今も見守ってくれている」 

8年前の熊本地震の際、4月16日に起きた熊本県阿蘇村の大規模な土砂崩れで、車ごと巻き込まれておよそ4か月後に発見された熊本県阿蘇市の大学生、大和晃さんの両親と兄は晃さんの遺影を抱いて追悼式に参列しました。

式のあと、父親の卓也さんは「生活をしながら、仕事をしながら8年間過ごしてきましたが、息子に対する気持ちはずっと変わりません。今も息子は自分たちを見守ってくれていると感じて毎日を過ごしています」と話していました。

災害関連死含め45人死亡 益城町で犠牲者を悼む 

益城町は、一連の熊本地震で2度にわたって震度7の揺れを観測し、災害関連死を含めて45人が亡くなったほか、住宅の9割以上に被害が出ました。

最初の震度7の揺れから8年となった14日、去年、復旧を終えた町役場に新たに併設された「震災記念公園」には献花台が設けられ、午前中から町長や住民が花を手向けて犠牲になった人たちを悼みました。

献花を終えた西村博則 町長は「地震から8年がたち、ハード面の復興は進んできましたが、心の復興は道半ばだと感じます。ことし1月の能登半島地震の被災地には多くの職員が応援に行っています。経験を持ち帰ってもらい、災害への備えをより強化していきたい」と述べました。

自宅が半壊した74歳の女性は「知り合いも亡くなったので、地震の日を迎えると何とも言えない気持ちになります。能登半島で被災された方も、とても心配しています」と話していました。

自宅が全壊した79歳の男性は「『復興を見守っていてください』という思いで献花しました。能登半島の被災地は大変な状況だと思いますが、復興が進んできた今、命があれば何とかなると実感しているので、どうか頑張ってほしいです」と話していました。

献花台は、8年前に2度目の震度7の揺れが起きた4月16日まで設置されています。

復旧工事進む 熊本城「宇土櫓」一般公開 

熊本市中央区の熊本城にある国の重要文化財で、「第3の天守」とも呼ばれる高さ19メートルの宇土櫓は、8年前の熊本地震で大きく損傷したため、現在、全体を「素屋根」という仮設の建物で覆った上で、いったん解体して復旧させる工事が進められています。

これまで素屋根の内部には、関係者しか立ち入ることができませんでしたが、復旧工事の過程を知ってもらおうと、地震から8年となる14日、一般公開されました。

宇土櫓の2階の屋根を囲うように設けられた通路からは、熊本城を築いた加藤家の桔梗紋などが彫られた瓦のほか、地震で剥がれ落ちた壁などを間近に見ることができます。

訪れた人たちは、通路をゆっくりと歩きながら瓦や壁を眺めたり、写真に収めたりしていました。

熊本市の70代の男性は「復旧には時間がかかると思いますが、新しい発見があるかもしれないので楽しみです」と話していました。

熊本市熊本城総合事務所の濱田清美 所長は「今しか見られない復旧過程をたくさんの方に見ていただきたい」と話していました。

宇土櫓は今後2年ほどかけて一度、解体され、2032年度に復旧工事を終える計画です。

宇土櫓の一般公開は14日のほか、今後、5月の大型連休に合わせて予定されているほか、6月以降は毎月第2日曜日に行われる予定です。

“記憶と教訓 次世代に” 熊本市で防災の知識学ぶ催し

熊本地震の記憶と教訓を次の世代に引き継ぎ、防災の知識を学ぶ催しが熊本市で開かれました。

この催しは、さまざまな訓練や体験を通して防災の知識を身につけてもらおうと熊本市中央区の花畑広場で開きました。

「シェイクアウト訓練」は、地震の直後に身を守る行動を覚えてもらうためのものです。

地震の発生が伝えられると会場にいた人たちは低い姿勢で頭を守り、机の下に隠れていました。

また、火災の煙を再現したテントでは、家族連れが手で口を押さえて低い姿勢で煙から逃れる方法を体験していました。

会場には、非常食を自分で調理して食べるブースも設けられ、訪れた人はお湯を袋に入れるだけでつくれるおにぎりやシチューなどを食べていました。

当時、みずからも被災しながら避難所となった病院で勤務していた30代の女性は「熊本地震をきっかけに家と職場に非常食を備えるようになりました。熊本地震を経験していない世代にも教訓を語り継いでいきたいです」と話していました。

7歳と4歳の娘と一緒に煙から逃げる体験をした母親は「子どもたちが泣き出してしまい、煙の中では子どもたちは動けなくなることがわかりました。地震の記憶が薄れていくと備えもおろそかになっていくので、もう一度、備えを確認したいと思います」と話していました。