武将、加藤清正が江戸初期に築いた熊本城の天守閣は…(2024年4月14日『毎日新聞』-「余録」)

 武将、加藤清正が江戸初期に築いた熊本城の天守閣は1877年、西南戦争の際に焼失した。原因は諸説あり、炎上を城下から見た人々が涙したとの記述がある。やっと再建されたのは、80年以上経た1960年だった

▲2016年の熊本地震で被災し、復旧が進む熊本城である。最優先とした天守閣の復旧完了から3年、昨年度は約135万人が訪れた。熊本市天守閣の修復にあたり、耐震化とバリアフリー化を進めた。地階から3基でつなぐエレベーターが階段の昇降が困難な人たち用に設けられ、お年寄りや車いすの人たちなどの登城を可能にした

 

▲過日、天守閣を見学した。ガラス越しに市街を望める展望室は観光客でにぎわっていた。階段を上ってきた後に、下りにエレベーターを使うお年寄りもいた

天守閣のエレベーター設置を巡っては、木造で復元を目指す名古屋城で是非が議論になっている。熊本城は鉄筋コンクリート製で事情は違うとはいえ、観光施設のバリアフリーの大切さを実感する

熊本地震が発災してから、14日で8年を迎える。犠牲者は災害関連死を含めると、276人にのぼる。仮設住宅の提供を昨年春に終えたが、被災者の孤立化防止や生活再建が切実な課題だ

▲熊本城の修復はこれからも続く。創建時からあり炎上を免れた「宇土櫓(うとやぐら)」(国指定重要文化財)の解体復旧工事が本格化している。同櫓や本丸御殿は32年度、城全体は52年度の修復完了を目指すという。人と城、ともになお道半ばの熊本復興である。

宇土櫓は、慶長の造営時に小西行長が築いた宇土城の三層五重の天守を移築したもので、桃山時代初期の天守の様式を示している。