夫婦の願い(2024年4月12日『高知新聞』-「小社会」)

 1995年のこの季節だった。歌手のペギー葉山さんのご自宅に取材でうかがった。東京・代々木上原の坂道沿い。家の前で運良く夫の俳優、根上淳さんにもお会いした。

 県民の一人として、「南国土佐を後にして」でおなじみのペギーさんには特別な親しみを感じていた。同時に根上さんの渋い演技と声のファンでもあったので、感激したものだ。

 芸能界きってのおしどり夫婦は、平和活動でも知られた。根上さんは法政大学の学生だった時に特攻隊入り。生き残ったものの多くの学友を失った。10歳年下のペギーさんは、東京から祖父母が暮らす広島に疎開する予定だったが、急きょ福島に変更し、原爆を免れたという。

 95年といえばちょうど戦後50年。根上さんはこの年、学友を弔い、悲劇を繰り返さないよう願って、母校に「平和記念碑」を建立する。ペギーさんも活動を支え、根上さんが他界した後も関連行事に参加するなど遺志を引き継いだ。夫婦の強い思いが分かる。

 それは共著「代々木上原めおと坂」からも感じられる。「あの子(息子)は絶対、戦争は反対だね。はっきりしてるよ」「私たちは語り部にならなくちゃね。むずかしいけど」

 ペギーさんが亡くなって、きょうで7年。お二人は天国でも仲良く、めおと坂を歩んでいるに違いない。ただ思いもしなかったろう。日本がいま、武器や戦闘機を輸出する国になろうとしているとは。