「もうやめる」農家の涙が猟師を変えた イノシシ丸焼き提供の本意(2024年4月6日『毎日新聞』)

糸島市やその周辺で捕獲したイノシシで、丸焼き料理を提供する飲食店を開いたジビエの加工・販売会社「tracks(トラックス)」代表、江口政継さん=福岡県糸島市で2024年2月9日、平川義之撮影
糸島市やその周辺で捕獲したイノシシで、丸焼き料理を提供する飲食店を開いたジビエの加工・販売会社「tracks(トラックス)」代表、江口政継さん=福岡県糸島市で2024年2月9日、平川義之撮影

 

 「イノシシのまる焼き」(4万4000円~)。こう書かれた看板メニューが目を引く。猟師でありジビエ(野生鳥獣肉)の加工・販売業を営む男性が2月、念願の飲食店を出店した。屋内でイノシシの丸焼き料理を提供する店は珍しい。調理の過程は少しグロテスクに見えるかもしれない。でも、食べる人を幸せにしてくれるのはなぜだろう。

 「おー、いい色に焼けてきたねー」。火を入れて約4時間、イノシシがこんがりとした色になるまで見守ってきた客は声を弾ませた。福岡県糸島市にオープンした焼き肉と鍋の店「まるや」。2月上旬の開店前イベントは、野性味あふれるもてなしでにぎわった。

イノシシなどのジビエを加工・販売する会社「tracks(トラックス)」が福岡県糸島市内に開店した飲食店「焼肉・鍋 まるや」が提供するイノシシの丸焼きメニュー=同市で2024年2月9日、平川義之撮影
イノシシなどのジビエを加工・販売する会社「tracks(トラックス)」が福岡県糸島市内に開店した飲食店「焼肉・鍋 まるや」が提供するイノシシの丸焼きメニュー=同市で2024年2月9日、平川義之撮影
 

 用意されたのは、近くで捕獲された体長約80センチ、重さ10キロの生後約1年の子どものイノシシだ。

 毛をむしったイノシシを店長の江口政継さん(44)はいろり前の調理台に運び込み、客の目の前で長い串に刺して炭火の上にセットする。火加減は、まきを組み合わせて調節する。

 丸焼き用のいろりは、地元の工務店や鉄工所などと相談してあつらえた。中まで火が通るように最初はじっくりと。最後は皮目にこんがりと焼き色が付くように火勢を強くする。

 招待客の中には普段から親しく付き合うトマト農家、西正剛(せいごう)さん(40)一家の姿もあった。長男、泰生(たいせい)君(5)が喜ぶ姿を見ながら西さんは「スーパーで目にするのは加工された肉。元々の肉を見るのは食育になる」。焼き上がった肉を口に運ぶと「かめばかむほど風味が出てきておいしい」とほおを緩めた。

イノシシなどのジビエを加工・販売する会社「tracks(トラックス)」が福岡県糸島市内に開店した飲食店「焼肉・鍋 まるや」=同市で2024年2月9日、平川義之撮影
イノシシなどのジビエを加工・販売する会社「tracks(トラックス)」が福岡県糸島市内に開店した飲食店「焼肉・鍋 まるや」=同市で2024年2月9日、平川義之撮影
 

 江口さんが鳥獣肉に関心を持つきっかけとなったのは15年ほど前だ。生まれ育った糸島市で、子ども向けの絵画造形教室の手伝いをしていた。ある時、知り合いの年配男性に「卵を産まなくなったから」と生きた鶏を食肉用にもらった。

 鶏を絞め、さばいた経験はなく戸惑った。しかし悪戦苦闘するうち「五感を通して入ってくる命」の存在に心を動かされた。「鶏に宿る命と自分に宿る命の価値は等しい」――。

 ふと、教室の子どもたちと接するなかで気になっていたこととつながった。自然豊かな土地なのに、どこか伸び伸びとしておらず、遊びも内向き。「命というものに触れ合う場所があれば、何かを感じ取ってくれるのではないか」。そんな考えが頭に浮かんだ。

 近くの猟師に教えを請い、猟師免許を取得したのは2012年。教室に通う子どもたちには“課外授業”で仕留めたイノシシを見せ、バーベキューで「口にするものにはすべて命が宿っているんだよ」と伝えた。

 猟で山に入ると、イノシシに畑を荒らされて困っている農家の声を聞いた。ある高齢女性のことは今も忘れられない。収穫直前の畑を荒らされ涙ながらに訴えた。「被害がひどすぎる。畑をもうやめる」。その涙が、江口さんに「猟師としてできることは何か」を考えさせ、趣味ではなく職業とするきっかけとなった。

 野生鳥獣による農作物被害は近年、各地で深刻な課題となっている。農林水産省によると、22年度の被害額は156億円。被害を防ぐ柵の設置や捕獲などの対策が進み、ピークだった10年度(239億円)からは減少したものの、ここ数年は横ばい状態が続く。

 同世代の猟師仲間と、猟師の仕事や獣被害について社会に発信する活動を「tracks(トラックス)」の名で続け、20年には法人化し、ジビエ処理・販売業をスタートさせた。

井手英史さんが糸島市やその周辺で捕獲されたイノシシの皮を使って作った、がま口とコードクリップ。柔らかい皮の特徴を生かしたという=福岡県糸島市二丈福井で2024年3月10日午後0時9分、谷由美子撮影
井手英史さんが糸島市やその周辺で捕獲されたイノシシの皮を使って作った、がま口とコードクリップ。柔らかい皮の特徴を生かしたという=福岡県糸島市二丈福井で2024年3月10日午後0時9分、谷由美子撮影
 

 害獣駆除に携わる一方で、奪った命をどうすれば生かせるかについても模索。食肉だけでなく、皮や内臓、骨を地域で有効利用する仕組みを作り出した。

 例えば、皮は剥いだ後に東京の専門業者に送り、なめし加工をした後に地元の革製品のクラフト工房2軒に届けている。工房を営む井手英史(えいし)さん(38)は地元産にこだわり数年前から江口さんに依頼し、イノシシの皮でがま口を製作している。「皮を剥ぐのは手間がかかるので、多くが捨てられ各地で課題になっている。命を無駄にしないという思いがないと続けられない」と江口さんの取り組みを評価する。

 内臓や骨の一部は、地元農家に堆肥(たいひ)の原料として、江口さんが個人として提供。堆肥の原料の9割は牛や豚、鶏のフンで、内臓類を使うのは全体の1割に満たないが、骨に含まれるリン酸は肥料の重要な成分だ。年間1300トンの堆肥となり土地を豊かにする。

 江口さんがずっと心残りに思っていたのが、ジビエを食べる文化が根付かない現状だった。22年にイノシシとシカは全国で計130万頭捕獲されたが、ジビエに利用されたのは1割程度にとどまる。現状を少しでも変えられないか。そんな思いで店を始め、日々店に立つ。「『姿形があるものが口に入っているんだよ』ということを次の世代に見せていきたい」。食べることこそ、命をつなぐことだから。【谷由美子】