「県庁はシンクタンク。毎日野菜を売ったり、牛の世話をしたり、モノを作ったりとかと違い、皆さまは頭脳、知性の高い方たち」などと、新規採用した県職員への訓示で述べていた。
耳を疑う、極めて不見識な発言である。職業差別でないか、という抗議が県庁に殺到したのもうなずける。15年間にわたる在職で、知事に慢心が生じていたのだろうか。
静岡県政に混乱を招いたことは残念というほかなく、知事発言に弁解の余地はない。辞職の表明は当然と言える。
知事は当初「職種の違いを説明しただけ」と釈明、騒動は発言の一部を切り取った報道のせいとばかりに開き直っていた。しかし、切り取りの指摘はどう見ても的外れで、相次ぐ批判に観念せざるを得なくなった感もある。
2021年参院補選の応援演説では自民党候補だった元御殿場市長を念頭に「(御殿場は)コシヒカリしかない」とこき下ろした。その後も「男の子はお母さんに育てられる」「磐田は浜松より文化が高い」などと述べている。自戒や反省があれば、ここまで不適切発言を繰り返すことはなかったのではないか。
知事独特の、一方を軽く扱って他方を持ち上げる表現のやり方までは否定はしない。だが、他業種の人と県庁職員の知的能力を比較するような手法が、知事の言う、知性の高い人のやることとしてふさわしかったとは思えない。
辞意の理由にも首をかしげたくなる。知事は辞意表明は今回の発言より、静岡県内の着工を認めてこなかったリニア中央新幹線の開業延期が決まったことが大きいとした。
差別発言の批判をそらす狙いが透けて見える。4期目の任期を約1年残しての辞意表明は知事の「逆ギレ」にも思えてしまう。
早稲田大教授などを務めた川勝知事は、国や企業にも物おじしない歯切れのよい主張で県民の支持を集めてきた。県政野党の自民党系会派が多数を握る県議会と渡り合ってきた政治的力量には評価すべき点も多いのは確かだろう。
特にリニア問題では大井川の流量減少や南アルプスの環境悪化を指摘し、国やJR東海に数々の対策を求めてきた。過去の知事選で圧勝を続けてきたのは、成果を県民が評価したからだろう。舌禍でその評価を落としたのは残念としか言いようがない。
JRは先日、当初予定していた27年の品川―名古屋間の開業断念を正式表明した。にもかかわらず、川勝知事の辞意表明を受け、リニア建設工事が進むことへの期待感が、にわかに広がりを見せていることはなぜなのか。
流量減少や生態系への影響、工事残土の処理など懸念される課題が解決されたわけではない。工事の遅れも何も静岡県に限った話ではない。
知事辞職は当然としても、それがリニア建設推進にお墨付きを与えることにはならないはずだ。国もJRもそのことを勘違いしてはなるまい。