SNS投稿で判事罷免に関する社説・コラム(2024年4月6日)

国会の裁判官弾劾裁判所へ向かう仙台高裁の岡口基一判事(右)=東京都千代田区で2024年4月3日、玉城達郎撮影

国会の裁判官弾劾裁判所へ向かう仙台高裁の岡口基一判事(右)=東京都千代田区で2024年4月3日、毎日新聞玉城達郎撮影

裁判官弾劾裁判所の法廷=東京都千代田区で2024年4月3日、玉城達郎撮影
裁判官弾劾裁判所の法廷=東京都千代田区で2024年4月3日、毎日新聞玉城達郎撮影

SNS中傷判事罷免 裁判官の萎縮は無用だ(2024年4月6日『山形新聞』-「社説」)


 裁判官の健全な表現行為まで縛ることがあってはならない。

 交流サイト(SNS)への投稿で殺人事件の遺族を中傷したなどとして訴追された仙台高裁の岡口基一判事に対し、国会の裁判官弾劾裁判所が罷免判決を言い渡した。投稿の一部について「表現の自由として裁判官に許容される限度を逸脱した」と判断。不服申し立てはできず、岡口氏は裁判官の身分と法曹資格を失った。弾劾裁判による罷免は8人目だが、表現行為を理由としたのは初めてだ。

 憲法は「司法の独立」を確保するため、裁判官に手厚い身分保障を認めている。三権分立の大前提だ。その一翼を担う立法府が裁判官の表現行為を罷免事由と断じたことは、重大な事態と捉えなければならない。

 ただ、罷免事由については、遺族の尊厳や権利を執拗(しつよう)に侵害したと判断した投稿に限定し、司法や立法府などを批判したものは除外した。自由な表現行為は最大限尊重されるべきであり、当然だ。

 裁判官は健全な表現行為に臆する必要はなく、今回の罷免判決で萎縮してはならない。萎縮した裁判官に表現の自由を守る裁判はできないだろう。

 訴追対象になったのは、2015年に起きた東京の女子高生殺害事件など二つの裁判に関連し、岡口氏が17年末から約2年間に行ったSNS投稿など13件だった。いずれの裁判にも関与しておらず、私的な投稿だったが、遺族が起こした訴訟で同氏に損害賠償を命じる判決が確定しているように、非難に値する内容を含んでいたことは否定できない。

 問題は、これらの表現行為が裁判官の身分保障を超えて、法が規定する罷免事由「裁判官の威信を著しく失うべき非行」に当たるか否かだった。弾劾裁判所は判決で、女子高生殺害事件に関する10件のうち「苦しむ女性の姿に性的興奮を覚える男に無惨に殺された17歳」など7件を罷免事由に該当すると判断した。

 一方、遺族の事情聴取を行った検察官役である国会の裁判官訴追委員会について「遺族を担ぎ出した訴追委員会」とした投稿などについては、訴追委や裁判所側を批判する意図だったなどとして、該当しないと結論付けた。

 この中で「裁判官が司法、行政、立法などの国家権力に対し、批判的に物申すことに萎縮しないよう細心の注意を払うべきだ」と明言したことは注目に値する。重要な判例として厳密に尊重されなければならない。

 裁判官を罷免した過去7例の弾劾裁判は、重大な職務違反があったり、刑事罰に問われたりした事例だった。これらに対し、SNSによる表現行為は現代的な課題だ。判決はSNSについて「不特定多数の人に拡散し、全く異なる趣旨に受け止められる危うさをはらんでいる」とし「他者を傷つける投稿が広く拡散する事態が往にして見られる」と言及した。

 SNSで中傷された女子プロレスラーが自ら命を絶った事件やいじめに使われた事例などが想起される。人と人がつながり、情報を瞬時に共有できる利便性の高いツールである半面、人を傷つける凶器にもなり得る。弾劾裁判をSNSの在り方を考える機会とすべきだろう。

 

SNS投稿で判事罷免 司法の発信考える契機に(2024年4月6日『毎日新聞』-「社説」)

 

 「表現の自由」を巡って、裁判官の身分保障が問われた。重い判断である。

 仙台高裁の岡口基一判事を罷免する判決が言い渡された。国会議員で構成される裁判官弾劾裁判所の結論だ。不服申し立てはできない。法曹資格を失うため、弁護士にもなれない。退職金も支払われない。

 問題視されたのは、ネット交流サービス(SNS)への投稿である。戦後の制度創設以来、罷免された裁判官は8人目だが、表現行為が理由となるのは初めてだ。

 岡口氏は東京高裁判事だった際、担当していない女子高校生殺害事件に関し、遺族の心情を傷つけるような書き込みをした。

 抗議した遺族について「俺を非難するようにと、東京高裁事務局に洗脳された」と投稿した。

 判決は、本人に積極的な意図があったわけではないが、結果として執拗(しつよう)に遺族を傷つけることになったと指摘した。

 人権を守る裁判官の役割から懸け離れた行為であり、「国民の信託に背いた」と認定した。

 表現の自由として許容される限度を超えていると言わざるを得ない。品位を欠く言動をすれば、司法への国民の信頼が損なわれる。

 裁判官は行政や立法の問題点を是正する役割を担う。憲法が「裁判官の独立」を定めているのは、外部から圧力を受けず、公正な判断ができるようにするためだ。

 それを担保する目的で、身分が手厚く保障されている。病気で職務がこなせない場合などを除き、弾劾裁判を経なければ辞めさせることはできない。

 過去に罷免されたのは、児童買春やストーカー、盗撮で刑事責任を問われたり、職務怠慢があったりした場合などだ。

 弁護側は「罷免は重すぎる」と主張した。訴追に反対する弁護士や学者からは「裁判官の独立を脅かす」との声が上がっていた。

 裁判官が発信を萎縮するようなことがあってはならない。

 法治国家において判例や法律を解説することは、社会にとって有益だ。裁判の進め方や判決の考え方を伝えれば、国民に身近で開かれた司法の実現にもつながる。

 今回のケースを、司法の発信について考える契機にしたい

 

裁判官を罷免 重責担っている自覚を欠いた(2024年4月6日『読売新聞』-「社説」)

 

 国民の信頼が欠かせない裁判官が、SNSで犯罪被害者の遺族らを傷つける発言を繰り返した。職責の重さを自覚しない行為だと言う他ない。

 SNSへの不適切な投稿で殺人事件の遺族を傷つけたなどとして 罷免(ひめん) を求めて訴追された岡口基一仙台高裁判事の 弾劾(だんがい) 裁判で、国会の裁判官弾劾裁判所は、岡口氏を罷免する判決を言い渡した。

 岡口氏は2017年、東京都で起きた女子高生殺害事件を巡り、事件をちゃかすような内容をSNSに投稿した。その後も、自分が担当していない裁判に関する書き込みを繰り返した。

 裁判所からは厳重注意や戒告の処分を受けたが、発信をやめなかった。判決は、これらの投稿について、「遺族や被害者の尊厳を傷つけたことは否定できず、岡口氏の行為は極めて軽率だと言わざるを得ない」などと指摘した。

 1947年の制度開始以降、罷免された裁判官は8人目で、多くは犯罪行為などが問題になったケースだ。岡口氏は刑事責任を問われたわけではないが、判決は、一連の行動が裁判官として看過できないと判断したのだろう。

 裁判官は憲法の規定で、心身の不調を除き、弾劾裁判によらなければ罷免されないとされる。裁判官の身分が厚く保障されているのは、公正な裁判を実現し、司法への国民の信頼を得るためだ。

 岡口氏の投稿は品位を欠き、こうした理念を 蔑(ないが)し ろにした。人の心を傷つけるような言葉を軽々しく発信し続ける裁判官に、重要な裁判を任せたいと思う人がいるだろうか。罷免は、自らが招いた必然の帰結だと言えよう。

 岡口氏は、法律書を数多く執筆しており、SNSの読者も3万人を超える影響力を持っていた。遺族らが、殺害された娘を多くの人の前で侮辱されたと感じ、心痛を覚えたのも無理はない。

 今回、弾劾裁判で初めてSNSへの書き込みが訴追の対象になった。憲法が保障する「表現の自由」が制限されかねないと、罷免に反対する声も上がっていた。

 表現の自由は尊重されねばならないが、こうした自由や権利は憲法で「 濫用(らんよう) してはならない」(12条)とされている。何を書き込んでもいいわけではない。まして、他人を傷つけるような内容が認められないことは論を 俟(ま) たない。

 特に裁判官の場合は、犯罪や紛争を裁く重い役割を担っている。たとえ職務に関連しない記述であっても、情報発信に慎重さが求められるのは言うまでもない。

 

岡口判事を罷免 国民常識にかなう判断だ(2024年4月6日『産経新聞』-「主張」)

 

 裁判は当事者の人生を大きく左右し社会の規範を変える効力を持つ。この重い職責を担う裁判官に信頼を置くことができなければ、裁判は成立しない。

 交流サイト(SNS)に殺人事件の遺族を傷つける投稿をしたなどとして訴追された仙台高裁の岡口基一判事=職務停止中=に、国会議員からなる裁判官弾劾裁判所が罷免の判決を言い渡した。

 弾劾裁判所は、岡口氏の複数の投稿は「『憲法の番人』の役割からかけ離れ、国民の信託に背いた」とし、罷免の要件である「裁判官としての威信を著しく失うべき非行」にあたると認定した。

 遺族感情を傷つける不適切な投稿を繰り返した裁判官にだれが紛争解決を委ねたいと思うだろうか。国民の常識や良識にかなう判断である。

 岡口氏は平成27年に東京都内で起きた女子高生殺人事件について、「首を絞められて苦しむ女性の姿に性的興奮を覚える性癖を持った男」「そんな男に、無残にも殺されてしまった17歳の女性」などとSNSに投稿していた。

 裁判は裁判官の表現の自由という観点からも注目された。

 判決は裁判官にも憲法が保障する言論の自由はあるとしたが、岡口氏が遺族から抗議を受けた後も「(遺族は)俺を非難するよう東京高裁に洗脳された」と投稿を続けたことを重視し、「表現の自由として裁判官に許容される限度を逸脱した」と断じた。

 「司法権の独立」を守るため、裁判官の身分は憲法で手厚く保障されている。しかし、岡口氏が不罷免となれば、裁判官が事件関係者らを傷つけ、侮辱的な発言を繰り返しても、その地位が守られることになる。国民の納得は得られまい。

 最高裁の対応も問題である。最高裁大法廷は岡口氏に対し、分限裁判を2度開いて戒告処分としたが、訴追請求はしなかった。国民の常識と乖離(かいり)した身内に甘い処分といわれても仕方がない。

 岡口氏に対する罷免判決について「国会議員が裁くことに違和感がある」「裁判官を萎縮させる」といった批判が出ているが、いずれも見当違いだ。

 司法、行政、立法という三権が相互監視することが憲法が求める民主主義の基盤である。

 

SNS判事罷免 信託に背かぬ情報発信を(2024年4月6日『熊本日日新聞』-「社説」)

 交流サイト(SNS)への投稿などで殺人事件の被害者遺族を中傷したとして、裁判官弾劾裁判所岡口基一・仙台高裁判事に罷免の判決を出した。

 弾劾裁判による罷免は戦後8人目で、重大な職務違反や刑事罰を受けた過去の事例とは異なり、私的な「表現行為」を理由とした初のケースである。

 判決は、岡口氏が遺族から抗議を受けた後も投稿を繰り返して遺族感情を傷つけた結果を重視し、少数者の基本的人権を保障する「憲法の番人」の役割から懸け離れて「国民の信託に背いた」と断じた。

 その一方で、現役裁判官が自身の意見を表現することは憲法の「表現の自由」で保障されているとも指摘した。裁判官が国家権力に批判的な立場で物申すことに萎縮しないよう「細心の注意を払うべきだ」とくぎを刺し、岡口氏の司法や立法府に対する投稿は罷免事由から除外した。

 判決の意を酌めば、他人を傷つけないよう配慮した投稿ならば裁判官の意見表明に問題はないということだ。現役裁判官は、不特定多数が目にするSNSでも、ひるまずに情報を発信してほしい。身近な存在とは言えない裁判官の日頃の考えを知ることは、国民にとっても利益になるはずだ。

 判決はまず、裁判官には人格的にも国民の尊敬と信頼を集めるに足りる品位が必要だと指摘。2017~19年の投稿など12件の表現行為についてその品位を辱める「非行」と認定した上で、このうち7件は罷免要件の「著しい非行」に当たるとした。

 裁判官は「司法の独立」を守るために手厚く身分が保障されている。一方で裁判制度は国民の信頼がなければ成り立たない。裁判官に求められる高い職業倫理に照らせば、罷免の結論はやむを得ないだろう。SNS上の誹謗[ひぼう]中傷が後を絶たない社会情勢も、判決に影響を与えたのではないか。

 ただ、表現行為を理由とした訴追については、熊本県弁護士会をはじめとする各地の弁護士会から慎重な審理を求める声が上がっていた。今回の罷免が前例となり、「黙っておいた方がいいと考える裁判官が増えるのではないか」とみる専門家もいる。今回の判決を契機とし、裁判官の表現行為はどうあるべきかについての議論をさらに重ねてもらいたい。

 今回の弾劾裁判は審理が長期化し、初公判から結審まで過去最長の約2年を要した。その中で浮かび上がった課題もある。裁判員は衆参国会議員14人が務めたが、途中交代や審理の欠席が相次いだ。結審までの15回で全員そろったのは4回。弁護側が求めた「厳密な審理」には疑問符も付いた。

 開廷自体がまれとはいえ、弾劾裁判所立法府が司法と対峙[たいじ]し、三権分立のにらみを利かせる機関だ。裁判員に審理への出席義務を課すといった改善策もあるのではないか。国会議員はその重みを再認識し、制度の在り方についても議論してほしい。