「リニア」の遅れは静岡だけのせい? ほかの工区でも後ずれする工事、未解決の問題を考えた(2024年4月5日『東京新聞』)

 
 リニア中央新幹線の静岡工区着工を認めていない静岡県川勝平太知事の辞意表明を受け、工事進展への期待感が広がっている。しかし大井川の流量減少や南アルプスの生態系への影響など、県が懸念する課題は残されたまま。そもそも工事は沿線各地で予定通りに進んでおらず、静岡だけのせいにするのはお門違いだ。知事が言うように「立ち止まって考えざるを得ない」のではないか。(岸本拓也、宮畑譲)
2019年、山岳部非常口トンネル入り口予定地を視察する川勝平太知事(左)と、案内するJR東海の宇野護副社長

2019年、山岳部非常口トンネル入り口予定地を視察する川勝平太知事(左)と、案内するJR東海の宇野護副社長

 「やっぱり一番大きかったのはリニアだ」。3日の臨時記者会見で、川勝知事は辞意表明の背景をこう明かした。JR東海は3月末に開かれた国の会議で、当初計画していた2027年のリニア開業は困難と正式に表明。早くても開業は34年以降にずれ込む公算が大きくなった。

◆「自然を保全することは国策」

 「従来の工事計画が根本的に崩れた」と強調する川勝氏は「南アルプスは国立公園。自然を保全することは国策だと信じていた。(リニアが)国家的事業とはいえ、物を言わなくちゃいけないと思っていた」と静岡県内の着工を認めなかった理由を話した。
 国が東京・品川—名古屋間の全長286キロに及ぶリニア工事の着工を認めたのは14年10月。名古屋や品川、長野など各工区で工事が始まったが17年10月、大きくこじれた。
 「(JRは)ともかく工事をさせろという態度。堪忍袋の緒が切れた」。川勝氏が、山梨、静岡、長野の3県にまたがる総延長25キロの南アルプストンネルのうち静岡工区(約8.9キロ)の着工を巡り、記者会見で突如反対をぶち上げた。工事の許認可権を持つ県がJRの計画を認めない方針を鮮明にしたのだ。
大井川の流量を視察する川勝平太知事(右)=2019年、静岡市葵区の椹島で

大井川の流量を視察する川勝平太知事(右)=2019年、静岡市葵区の椹島で

◆大井川の水量問題で議論が足踏み

 その理由は13年にさかのぼる。JRがトンネル工事で地下水が外に流れだし、大井川の流量が最大で毎秒2トン減るとの予測を示した。県は「約60万人分の生活用水に匹敵」と主張。減った水を全量大井川へ戻すよう求めたが、JRは「全量までは必要ない」と反論し、議論は膠着(こうちゃく)した。
 川勝氏の怒りもあって、JRは18年に全量を戻すことを約束したが、19年に一定期間は戻せないことが発覚。両者の協議は紛糾し、国土交通省が議論を引き取る形で20年に有識者会議を設置した。
 一方、県は有識者らがJRと技術課題を議論する「専門部会」を19年に立ち上げ、(1)大井川の水量問題(2)水生生物などへの影響(3)トンネル掘削で発生する土砂の管理—の3点を柱に、47項目の技術課題を挙げて議論を進めてきた。
 23年12月、国の有識者会議は、JRの進める環境保全対策などは「適切」とする報告書をまとめ、リニア前進の方向性を示した。県は今年2月に「47項目の課題のうち、生態系保全や発生土などについて30項目が解決していない」と反論、協議の継続を求めている。

◆消える重し役、知事交代で即着工はある?

 川勝氏の辞職で状況は変わるのか。県の渡辺光喜・南アルプス担当部長は「もともと県はリニア事業自体には賛成の立場。それは今も変わっていない。残りの課題は明確で、今後も粛々と協議していくことに変わりはない」と話す。
 大井川の水資源と南アルプスの自然が脅かされるとして工事に反対してきた市民団体「リニア新幹線を考える静岡県民ネットワーク」の林克・共同代表も「専門部会をはじめ、県の組織体制はしっかりしている。新知事になっても、すぐに着工できるとは考えにくい」としつつ、不安も抱く。「リニアを巡って関係者の意見対立はあるが、川勝氏のにらみで抑えられていた部分はある。具体的に課題が解決していない中で、重し役がいなくなることの危うさはある」
 「一つの石が取り除かれた」。長野県駅(仮称)が設置予定となっている長野県飯田市の飯田商工会議所の原勉会頭は、川勝氏の辞意表明を受けてこう表現した。同市の佐藤健市長も「最大の不安定要素が一つクリアされる可能性が出てきた」とコメントを出した。

◆「静岡悪者論」ばかり強調されるが…

 露骨に公言される「静岡悪者論」。3月29日にJR東海が品川—名古屋間の2027年開業断念を公表した際もそうだった。「静岡工区が名古屋までの開業の遅れに直結している」。同社の中央新幹線推進本部副本部長の沢田尚夫常務は、有識者会議後の記者会見でこう強調した。
リニア中央新幹線静岡工区の工事予定地周辺=3月29日、静岡市葵区で、本社ヘリ「わかづる」から

リニア中央新幹線静岡工区の工事予定地周辺=3月29日、静岡市葵区で、本社ヘリ「わかづる」から

 リニアの沿線予定の首長からも「一日でも早く整備、開業したい。その思い一心だ」(大村秀章愛知県知事)などと一刻も早い開業を求める声が相次ぐが、その中には懸念を示す自治体も。阿部守一長野県知事は問題は静岡だけではないとして、「長野県もいろいろ課題がある中で地元の理解と協力を得ながら進捗(しんちょく)を図ってきた。他県の状況も踏まえた上で一日も早く、課題の解決を行ってほしい」と注文をつけた。

◆すべての工区で2~10年の遅れも

 リニアについて長年取材を続けているフリージャーナリストの樫田秀樹氏によると、静岡以外の工区でも工事の遅れは相次いでいる。JR東海の公表資料などから試算したところ、現時点で予定より2〜10年の遅れが生じている工区が、沿線の1都6県全てにあるという。樫田氏は未契約や未着工、沿線住民による差し止め訴訟、トラブルによる工事中断などを理由に挙げる。
 工事の遅れについてJR東海は「こちら特報部」の取材に対し「工事の状況に応じ、工期の変更を検討していくこともある。ただし、いずれも静岡工区の遅れの範囲内であり、開業時期に影響を与えるものではない」と回答した。
 樫田氏は「静岡悪者論」に対し、「静岡の遅れはかわいいほうだ。それなのに、静岡がバッシングされるような雰囲気があることは非常に不可思議に感じる。静岡のせいにすることで事業者が責任を逃れ、地元へのプレッシャーをかけたい論理がはたらいていないか」と違和感を述べて、こう予測する。「27年になれば、他の工区も全然進んでいないことが分かるはず」

◆トンネルで崩落事故、工事費は膨らみ、差し止め訴訟も

 かつてない難工事とされるリニアだが、既に事故などが起き、工事の中断や遅れが生じている。
21年10月、岐阜県中津川市のトンネル工事現場で、火薬で掘り進める途中、岩肌が崩れ落ちて作業員2人が死傷した。16年に着工した名古屋市中区にある名城非常口は底部からの湧水や土壌汚染があり、完成が予定より遅れた。
 21年4月には、品川—名古屋間の総工費が従来見込まれていた5兆5000億円から約1兆5000億円膨らみ、7兆円あまりになる見通しが発表された。工事が長引けば、工費がさらに膨らむ可能性もある。
掘削が進められている南アルプストンネル本坑=2022年、長野県大鹿村で

掘削が進められている南アルプストンネル本坑=2022年、長野県大鹿村

 ルート予定地の住民による差し止め訴訟も起きている。山梨県南アルプス市の住民が甲府地裁に起こした訴訟は今年5月に判決が出る。原告、被告のどちらが勝っても控訴する見込みで、原告代理人梶山正三弁護士は「最高裁まで争えばあと2、3年はかかる。それに判決が出ても住民は簡単に土地を提供しないだろう」と言い、関係工区の完成はさらに先になるとみる。
 梶山氏は、開業延期は静岡だけが原因ではないとして、計画のずさんさを批判する。「静岡は一つの要素ではあるが、全体に与える影響は少ないはずだ。品川—名古屋ですらいつ開業するのか分からないのに、大阪まで開通しなければ経営的なメリットは少ない。リニアの工事にこの先何十年もかけて、JR東海の体力が保つとは思えない」

◆デスクメモ

 リニアの基本計画ができたのは1973年。浮上走行で時速500キロ超という「夢の乗り物」に私も心を躍らせた。半世紀がたつ今、南アルプスの自然を壊し、7兆円を費やしてまで必要か首をかしげる。価値観のアップデートは失言知事だけでなく、リニア計画にも必要なのでは。(恭)