二・二六事件 首相ら守った殉職5警官に社会の称賛 警視庁150年(2024年4月3日)

産経新聞

昭和11年2月26日、陸軍の青年将校らが首相官邸などを襲い、現職大臣らが殺害された「二・二六事件」。事件の背景や、その後の日本に与えた影響など、さまざまな観点から検証される歴史上の大事件だ。一方、事件で岡田啓介首相らを守って殉職した5人の警察官や遺族には、社会から大きな同情と称賛の声が寄せられた。子供が警察署まで弔慰金を持って現れるなど、対応が追い付かないほどだったという。(橋本昌宗)

■新聞で特集 《壮烈・浅春(せんしゅん)に散った花》

同年3月2日付『時事新報』は、こんな見出しで5人の殉職警察官を特集。遺族らに取材して、夫や親としての人となりや、職務にかけていた思いを紹介している。記事から浮かぶのは警察官の職務に準じた功績ばかりではなく、一人一人の人間としての姿だ。

首相官邸で殉職した土井清松巡査(32)はこの年の1月、岡田首相からもらった直筆の書を「酒も呑まずに溜めた小遣銭で表装して貰い、床の間にかけ、来客の度に示しては喜んでいました」。世田谷区の自宅で土井巡査の母(52)や祖母(72)、妹(22)は取材にこう明かす。

遺族は首相が難を逃れたことについて「お役に立ったとやっと安心しました」とし、「倅(せがれ)もいま骨となって総理大臣閣下から書いて頂いた掛軸の前に安置されさぞ満足していることでしょう」と気丈に語った。

また、同じく官邸で亡くなった清水与四郎巡査(29)の父(64)は、清水巡査が父の好きな牛肉をたびたび買ってきたとし、「兄弟の中で一番親孝行」と明かしている。結婚話を持ち掛けても、「僕は警察官となり、官邸警備の任に当った以上一旦事ある時は一命を賭して国家の為めに奉公する」と一笑に付していたという。

■全国警察でも反響

殉職警察官に寄せられた称賛や同情は、メディアだけにとどまらない。

「先ず愛知県警察部員から、次いで神奈川県、兵庫県の警察部員から、相次いで、全国の府県警察部員から、深甚(しんじん)なる感謝と慰問が送られて来ました」(『二・二六事件を顧みて』警視庁警衛課編)。民間からも「遺族援護の資(たすけ)が寄せられ、警視庁は一時その扱いに忙殺」(同)されるほどだった。

中には、個人で本部や警察署に弔慰金を持ってくる例も。同年3月3日付の時事新報によると、向島墨田区)の工場で働く男性が、出勤時間前に警視庁の本部を訪れ、「『天晴な行為に感激した』と涙を浮べて僅かな小遣のうちから2円の弔慰金を差し出」した。

また、原宿署には小学4年の女児が、「殉職警官へ」と50銭を持ってきた。「お正月に父から貰ったお小遣いを香典にと持ってきた」という。

同年3月16日、東京の築地本願寺で、遺族や警察関係者、来賓ら約1千人が参列して5人の警察官の合同葬が執り行われた。同紙は、「寺院前を通りかかった市民の中にも飛入り焼香を希望する者続出」と記載。2時間の一般焼香の間に、約3千人の市民が現れたといい、殉職警察官らを悼む人の多さを物語っている。