消えぬ風評被害 信頼醸成が解決の前提だ(2024年3月24日『河北新報』-「社説」)

 消費者庁が今月公表した東京電力福島第1原発事故に関する消費者意識調査(1月31日~2月1日)で、福島県産の購入をためらう人の割合は過去最少の4・9%だった。国内で忌避感が着実に薄まる一方、同原発処理水の海洋放出に伴い中国などが続ける日本の水産物の禁輸措置は、全国の漁業関係者の間に新たな苦しみを生んだ。廃炉作業が続く限り、完全には解消されない風評被害の根深さを思わざるを得ない。

 米国が南太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験で静岡県のマグロ漁船・第五福竜丸の乗組員らが被ばくした「ビキニ事件」が、今月で発生から70年となった。事件は日本国内で反核運動の契機となるとともに、風評被害という言葉が広く用いられる発端でもあった。

 ビキニ事件では、マグロの廃棄にとどまらず水産物全般の買い控えや価格急落が広がり、全国の市場や小売店が大打撃を受けた。原発事故後に福島が見舞われた苦難はビキニ事件当時の混乱に重なる。

 時代を超えて似た状況が繰り返されるのは、風評被害が「科学」のみで解決できる問題ではないためだ。放射能放射線レベルが規制値を大きく下回るとして安全性が強調されても、安心感を抱くかどうかは個々人で異なり、風評被害の種や素地は残る。

 気になるのは最近、風評という言葉が「加害」の文脈でも用いられることだ。今も福島県産の購入を避けたり、被ばくの影響を不安視したりする行為を、福島の復興に水を差す「風評加害」と指摘する声が官民問わずある。

 処理水を「汚染水」とあえて言い続けるなど、苦渋の思いで海洋放出を見詰める地元からすれば承服しがたい言動や行動も確かにある。ただ「加害」の責任が問われるべきは事故をもたらした側に尽きる。福島の人々をはじめ被害を受けた側をさらに加害と被害に分け、対立させかねないことは避けねばならない。

 「安全」を額面通り受け入れられないのは、それを強調する政府や事業者への不信感ゆえの面が大きい。政府の事故収束宣言後に頻発した廃炉作業でのトラブル、炉心溶融メルトダウン)の隠蔽(いんぺい)を後年になって認めるなどした東電の姿勢が、国内外で信頼感の醸成を妨げてきた。

 ちょうど半世紀前の1974年にあった原子力船むつの放射線漏れ事故も、不信が問題を複雑にした。政府が「原子力船は安全」と強調してきただけに、母港があったむつ市や漁業関係者は激しく反発し、風評被害も生じた。

 第五福竜丸とむつは2020年、日本船舶海洋工学会による「ふね遺産」に同時認定された。風評被害を巡る轍(てつ)をこれ以上踏んではならないという教訓も両船の遺産であろう。風評の形成に無縁とは言えない報道機関としても肝に銘じておきたい。