「輪島朝市」金沢に出張して開催 能登半島地震後初めて(2024年3月23日『NHKニュース』)

能登半島地震のあと大規模な火災が発生した石川県輪島市の「輪島朝市」が23日、地震のあと初めて金沢市に出張して開かれ、会場は多くの人でにぎわいました。

輪島市の「朝市通り」では元日に発生した火災で大きな被害を受けましたが、23日、地震のあと初めて金沢市の金石港に出張して開かれました。

会場には「がんばろう、輪島朝市」と書かれたのぼりが立てられ、朝市名物のオレンジ色のテントを使って通常の3分の1にあたる29店舗が軒を連ねました。

露店では、金沢市で水揚げされた魚で作られた干物や、火災を免れた輪島塗の箸などが販売され、訪れた人たちが出店者との会話を楽しみながら次々と商品を購入していました。

輪島塗のスプーンを購入した60代の女性は「朝市で出店者とお話して元気をもらいました。これからも応援していきたい」と話していました。

干物を購入した40代の女性は「輪島の朝市に行ったことはありませんが、楽しく買い物ができたので復興したらまた行きたい」と話していました。

朝市通りで食堂を経営し今回の出張開催を企画した橋本三奈子さんは「心が折れそうになりましたが、出張輪島朝市があるので、この3か月、頑張ることができました。出店者のいきいきとした姿が見られてうれしいです。輪島での再開を目指してこれからも頑張っていきます」と話していました。

奇跡的に耐え抜いた「いしる」で塩辛を・・・

「出張輪島朝市」で、朝市の復活を願い、能登半島地震を奇跡的に耐え抜いた魚しょう(魚類または他の魚介類と塩を主な原料にした液体状の調味料)の「いしる」を使った塩辛を販売した女性がいます。


南谷良枝さん(48)は、30年以上にわたって輪島朝市の露店で塩辛や干物などを販売してきました。

南谷さんは今月中旬、金沢市にある加工場で冷凍保存していた輪島産のスルメイカを使って塩辛作りを行いました。

この塩辛に欠かせないのが、祖母から製法を受け継いだ能登地方特産の魚しょう「いしる」だということですが、地震で「いしる」の入ったたるが倒れ、家族総出で準備した7トンもの「いしる」が販売できなくなりました。

南谷さんは「ばあちゃんから『いしる』は3年以上、熟成させたものしか売るなと言われていました。今回の地震で受け継いだ大事な宝がすべてだめになってしまった」と話していました。

地震のしばらくあと、全壊した倉庫の中からタンクに入った「いしる」30キロ分が奇跡的に見つかったため、南谷さんはこの「いしる」で塩辛を作り、出張朝市で販売しようと考えました。

南谷さんは「5、6年かけて売る分の『いしる』が全部だめになり、情けなくなってしまった。ほんの一握りしか残っていないが、塩辛などを作って販売して出張朝市を成功させ、それを見たほかの組合員が前向きになって一緒に参加してもらうのが望みです」と話していました。

塩辛作りを一緒に行った南谷さんの娘の美有さんは、おととしから朝市の露店で南谷さんと2人で働いています。

輪島朝市の出店者の中では最年少の22歳です。

高校3年生の時に、家業の朝市の露店で職業体験を行い、客とふれあう楽しさを学んだということで、母親のあとを継ぐことを決心しました。

イカをさばくのは初めてということですが、これまでたいやいわしで鍛えた包丁さばきで、手慣れた様子でイカを切り分けていました。

南谷さんは「うちで作る『いしる』など輪島朝市で昔から売られてきた食文化を若い自分の役目として未来へつないでいきたい」と話していました。