薬効の知識あり? オランウータンが「治療」行為(2024年5月9日『産経新聞』-「産経抄」)

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スマトラオランウータン
 
夏の盛り、商家の若旦那が大病を患った。「みかんを…」。病床のうめき声に番頭は飛び出し、町問屋の倉庫に1個だけ残った健康な実を買い取る。向こうの言い値は千両、背に腹は代えられない。落語『千両みかん』である。
▼皮をむくと10房あり、若旦那は瞬く間に半分を食べた。番頭は思わずうめく。「五百両が…」。病床の人は知るや知らずや、ミカンには食欲増進などの効能があり、果皮を乾かせば生薬になる。くすりと笑える話の中にも薬になる話が隠されている―と見るのは、うがち過ぎか。
▼古代中国の王、神農は自らを実験台にあらゆる草木をなめ、毒か薬かを確かめたと聞く。神話の人とはいえ、薬効と処方に関する知識を先人がどのように蓄えたかを物語る伝承だろう。その知識はしかし、人間の専売特許ではないかもしれない。
インドネシアスマトラ島で、雄のオランウータンが薬草を使って顔の傷を治したという。ドイツなどの研究者によると、その雄が消炎効果のある薬草を時間をかけて嚙(か)み砕き、傷口に何度も塗る姿が見られた。患部はその後、完治したとされる。
感染症と隣り合わせの自然界では、わずかな傷も命取りになる。薬効と処方の知識の有無は、どんな種にも存続に関わる大事だろう。薬草の塗布は先祖伝来の手法か、かの雄が編み出した独自の技か。通じ合う言葉があるならば、「知るや知らずや」を聞いてみたいものである。
▼マレー語で「森の人」を意味するオランウータンとヒトの祖先が、種として分かれたのは千数百万年も前という。この草は効く。あの草はだめだ。はるか昔、種の違いを超えて身ぶり手ぶりの薬効談義に花を咲かせたのか。想像するだけで、くすりとさせられる。