夢は「お笑い芸人」だったけど 輪島朝市で4代続く海女一家 祖母、母、僕が伝えたい事(2024年3月22日)

自分で取った海産物、船で渡って輪島朝市で売る

20歳の一人息子が海士デビュー「お笑い芸人」が夢だったけど…
そんな美栄さんに最近、頼もしい相棒ができた。一人息子の岳登さんが海士(あま)デビューしたのだ。

石川県漁業協同組合によると、県内の海女は約200人(2024年現在)。舳倉島などの離島を含む輪島市海士町(あままち) に集中しており、一つの地域にいる海女の数では全国一を誇る。ほとんどが女性だが、男性の「海士」ももちろんいる。素潜りデビュー1年目の岳登さんは今はまだ、「探す必要がなく、一番簡単」(美栄さん)というモズクの経験しかないが、ゆくゆくはサザエやアワビも取りたいと話してくれた。

お笑いが大好きな岳登さんは、お笑い芸人になるのが夢で、海士になる気はなかった。高校を卒業したら、故郷を離れ、芸人養成所に入りたいと考えていた。

ただ、女手一つで育ててくれた母の体調や祖母の年齢が気に掛かり、高校卒業後もしばらく地元に残って手伝いをしていた。朝市の看板が絹子さんから美栄さんにうつった後は、母と二人三脚で露店を盛り上げた。
「今までなら私が海に行くと、朝市もお休みしなくちゃならなかったけど、今は私が海に行っている間に、朝市をお願いできるようになった」と美栄さんは嬉しそうだ。

接客は得意だ。美栄さんにくっついて5歳のころから朝市で店番をしていたからだ。
「『これ、おばあちゃんとお母さんが取ったワカメですよー。買ってー』ってお客さんに言っておったんよ」と絹子さんも懐かしがる。

しばらくは母と祖母のそばで自分が支えよう。
そう思い始めていたとき、能登半島地震が起きた。

「あの時とはぜんぜん違った」と、3人は声をそろえる。「あの時」とは、2007年に能登半島を襲った最大震度6強地震だ。絹子さん、美栄さんは3歳だった岳登さんと店に立っていた。「あの日もちょうど朝市がお休みの日だったけど、朝市に来てくれているお客さんもいるから露店をやりましょうとなって、この子連れて行ったの。そこで地震に遭った」

観光業などが打撃を受け、輪島朝市の客足も遠のいた。だが、ひび割れた朝市通りにテントをはり、翌月には朝市全体が「復活」を遂げた。能登を舞台にしたNHK連続テレビ小説「まれ」や、北陸新幹線の開業に伴い客足が戻ったと思ったらコロナ禍に。「収入ほぼゼロ」が続いた3年をどうにかしのいだ今年、岳登さんの海士デビューも合わせて一家で頑張ろうとした、矢先でもあった。

一変した輪島朝市「僕だけが見た」

テレビ朝日

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