勾留の末の死 人質司法の悪弊あらわに(2024年3月23日『信濃毎日新聞』-「社説」)

 胃がんを患い、極度に体調が悪化していながら、なぜ保釈が認められなかったのか。何よりもそのことが問われなければならない。

 大川原化工機の顧問だった相嶋静夫さんだ。公安警察がでっち上げた事件で濡れ衣を着せられ、長く勾留された末に亡くなった。8回にわたる保釈の請求はすべて退けられた。

 拘置所で適切な医療を受けられなかったとして、遺族が国に損害賠償を求めた裁判は、東京地裁が請求を棄却する判決を出した。拘置所の対応は治療義務に違反していないと結論づけている。納得できない判断である。

 生物兵器の製造に転用できる機器を不正に輸出したとして、2020年に社長らとともに逮捕、起訴された。一貫して容疑を否認し、勾留は長引く。半年後の9月に重度の貧血で輸血を受け、翌月に胃がんと分かった。

 勾留が一時停止されて外部の病院に入院したのは、さらにひと月後だ。そのときには既に、手術や抗がん剤による治療に耐えられない状態だったという。3カ月後、72歳で息を引き取った。

 裁判で遺族側は、9月以前に血液検査で貧血の所見があり、胃の痛みを訴えてもいたのに適切な対処を怠ったと主張した。早い段階で治療を受けていれば、その後の経過は違ったはずだ。

 身柄を拘束され、自分で病院に行くことができない人の命と健康を守ることは、収容している施設側の責務である。拘置所の対応を違法ではないとして遺族の訴えを退けた地裁の判決は、その重みに向き合っていない。

 根本的に見直すべきは、保釈のあり方だ。検察は、証拠隠滅の恐れを理由に、起訴した3人の保釈に反対し続けた。相嶋さんに関しても、勾留を一時停止すれば治療は受けられるとして、あくまでも保釈に応じなかった。

 理不尽と言うほかない。容疑を否認する限り拘束が続く「人質司法」の悪弊が、あらためてあらわになっている。検察の意向に追従し、保釈の請求を退け続けた裁判所も責任を免れない。

 相嶋さんが亡くなった半年後、検察は起訴を取り消し、冤罪(えんざい)であることが明白になった。社長らが起こした別の裁判で、東京地裁は昨年、警察と検察の捜査、起訴をいずれも違法と認め、損害賠償を国と東京都に命じている。

 徹底した検証が要る。事件の捏造(ねつぞう)と人質司法が無実の人の死につながった責任を、警察、検察、裁判所は自ら明らかにすべきだ。