能登半島地震の発生から2カ月。幹線道路が寸断し、一時孤立した石川県輪島市の山間部にある集落では、仮復旧した林道がかろうじて通じたが、電気が通る見通しはなく、水道設備も破損しているため、住民の多くは今も避難を続けている。
【写真まとめ】山あいの集落に1人残る坂下さん
住民が皆避難して人の気配が無く、鳥のさえずりだけが響く小池(おいけ)集落で、自宅前で1人洗濯物を干す坂下敏子さん(87)の姿があった。
「畑仕事が生きがい。昼か夜か分からん避難所にじっとしとるより、畑や山に出かけて仕事していた方が元気でいられるわ」と狭い山道を自ら軽トラックのハンドルを握り、草刈り機を使いこなす坂下さんの意思は固い。
坂下さんは大規模火災のあった「輪島朝市」に長年、収穫した農作物を出品していた。地震直前の昨年12月30日に、正月飾りの「しめ飾り」などを販売したのが最後になった。年が明けて販売しようと昨秋種をまいたたくさんの大根の行き場がなく、少しずつ掘り起こし、漬物にしている。
「冬は大根、それから春先はイチゴが人気でね、新鮮なのを朝市に買いに来てみんな喜ぶから、その顔が見られないのは残念。輪島でまた朝市が復活すれば、収穫したものを持っていきたいね」とイチゴの苗に時間をかけて肥料をまいた。
地震で、自宅はふすまが外れ、僅かに窓ガラスが割れたが大きな被害は無かった。しかし、電話がつながらず、心配した輪島市内に住む孫らは、家が倒壊し、下敷きになっているのではと案じていたという。
がれき道をはい上がり続け、泥だらけで孫が家の前の道を遠くから歩いてくるのを坂下さんが目にしたのが地震から4日後。互いに安堵(あんど)感に包まれ、涙を流して抱き合った。1月17日、他の住民と共に自衛隊のヘリコプターで避難したが、「避難所には集落の仲間もいないし、畑仕事がしたい」と2月6日、仮復旧した悪路を孫に送ってもらい、自宅へ戻った。
夕方、仕事を終えて納屋で坂下さんが後片付けをしていた時、突然地響きとともに地震が起きた。これまで笑顔を見せていた坂下さんに不安そうな表情が浮かんだ。「次大きい地震が来たら、家ごと潰れて死んでしまうかもしれん。けど、猫もおるし、毎日することもあるし、家にいるのが一番幸せ」。
そう言って、片付けを済ませ、台車を押してゆっくり自宅へと進む坂下さんを、愛猫のミルクが窓から見つめていた。【吉田航太】