医療と患者意思 生きること支える体制に(2024年3月17日『西日本新聞』-「社説」)

 人生の終わりが見えてきたとき、その人が生きることを全うできるように支えるのが医療の役割である。

 そんな医療の名に値しない犯罪行為だ。海外で厳格に運用されている安楽死ともあまりに懸け離れている。

 全身の筋肉が徐々に萎縮する難病、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の女性の依頼に応じ殺害したとして、嘱託殺人罪などに問われた医師の裁判員裁判で、京都地裁は懲役18年の判決を言い渡した。

 医師は主治医でもALSの専門医でもなく、女性とは交流サイト(SNS)で知り合った。別の医師と女性宅を訪ね、付き添いのヘルパーが離れた隙に薬物を投与した。130万円の報酬を得ている。

 裁判長は「生命軽視の姿勢は顕著で強い非難に値する」と述べた。妥当な判決といえよう。

 意図的に薬物を投与して患者を死なせる安楽死は、日本では合法化されていない。認めている国・地域では厳しい条件を定め、主治医らが患者の病状や意思を慎重に把握している。

 今回の事件後に安楽死を支持する声も上がったが、犯罪と「死ぬ権利」を直接結び付けるのは乱暴過ぎる。

 死にたいと思うほどつらく孤立した女性に対し「死にたいから死なせる」ではなく、医療や福祉、人のつながりによって状況を改善することはできなかったのか。

 医療や介護を選択する際、患者の自己決定権が尊重されるのは当然だ。その仕組みは「生きる権利」が前提でなければならない。

 近年はアドバンス・ケア・プランニング(ACP)という考え方が重視されている。将来の医療やケアについて、患者の意思決定を家族、医療や介護の関係者がチームとして支える。意思は変わり得るため、繰り返し話し合う。

 厚生労働省は2018年に改定した人生の最終段階における医療・ケアの決定に関する指針に反映させたが、まだ社会に浸透していない。

 22年度の調査で、最終段階に受けたい、受けたくない医療やケアについて家族や関係者と詳しく話し合った人は1・5%にとどまる。ACPの意義を国民に周知すべきだ。

 併せて、終末期医療に関する情報提供を充実させたい。誤ったイメージを持てば、延命治療を悲観的に捉える可能性がある。胃ろうや人工呼吸器を選び、自分らしく生きている人もいる。分からないことや不安に対応する相談体制が欠かせない。

 人工呼吸器を外すなど延命治療の中止は重要な問題だ。医師が刑事責任を追及される恐れもあり、いったん始めるとやめにくい。装着の段階でつらい決断を迫られる。

 基準の法制化を求める声がある一方、ACPを充実させれば法律は不要との見方もある。どんな仕組みなら「生きること」を最期まで支えられるのか、慎重に議論したい。