賢者は歴史に学ぶものである。歴史を学ばないものは、それを繰り返す運命にある。コラムニストの石原壮一郎氏が考察した。 【写真】近藤真彦のデビューは昭和54年
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あの人気ドラマのせいで若い人たちにもバレてしまいましたが、昭和の時代には「不適切」があふれていました。ただ、令和の基準で見ると立派なセクハラ発言やパワハラ発言でも、当時は問題視されていなかったものがほとんどです。ま、大半の人が無自覚にスルーしていたところが、もっとも不適切なんですけど。
そんな昭和の時代でも、押しも押されもせぬ「不適切」はたくさんあります。昭和を代表する「不適切発言」にまつわるクイズ(政治家編&芸能界編)に挑戦して、自分の“血中昭和濃度”がどれだけ濃いかをチェックしてみましょう。平成生まれの方も、昭和への理解を深めたりあらためて呆れたりするために、ぜひやってみてください。
●政治家編 【問題】次の1~4の不適切発言をしたのは誰か。
ア~エの4人(肩書は発言当時)から選びなさい。
1「中小企業の5人や10人の破産、自殺はやむを得ない。子孫を残そうとする利他の要素です」
2「無礼なこと言うな。バカヤロー!」
3「熊本県では、申請すれば水俣病患者になってカネがもらえるから、そのうちに県民全部が水俣病患者になる。私も熊本県に住んで水俣病患者になりたい」
4「ヒロポンは戦前は薬局で売っており、ぼくらの学生時代には試験の前などによく飲んでいた。気持ちがいいし、能率が上がる」
ア.吉田茂(内閣総理大臣) イ.世耕政隆(自治大臣・国家公安委員長) ウ.池田勇人(通産大臣) エ.森下泰(参議院議員)
●芸能界編 【問題】次の1~4の不適切発言をしたのは誰か。
ア~エの4人から選びなさい。
1「女優を2号(妾)にしたのではなく、2号を女優にしたのだ」
2「私作る人、僕食べる人」
3「おばさん、歌うまいね」
4「オ×××」
ア.近藤真彦(歌手) イ.松本明子(タレント) ウ.某CM エ.大蔵貢(新東宝社長)
このあと正解と、それぞれの「不適切発言」について簡単に解説します。正解が目に入ってしまう前に、正解数ごとの判定を先に書いておくとしましょう。
全問正解のあなた…〈血中昭和濃度100%〉全身から昭和があふれ出しています。もしかしたら、昭和的な不適切もあふれ出しているかもしれません。
5~7問正解のあなた…〈血中昭和濃度70%〉
昭和の心を忘れずに毎日を生きているようです。不適切な根っこが顔を出さないように注意しましょう。 2~4問正解のあなた…〈血中昭和濃度30%〉昭和的な香りとは縁遠いかも。だからといって不適切とも縁遠いとは限らないので、油断は禁物です。 0~1問正解のあなた…〈血中昭和濃度5%〉なかなか取れない点数です。世の中の出来事に興味がなさ過ぎるという別の不適切を備えているかも。
では、正解の発表です。まずは「政治家編」から。
【正解】1‐ウ、2‐ア、3‐エ、4‐イ
1の「中小企業の5人や10人の破産、自殺はやむを得ない。子孫を残そうとする利他の要素です」は、のちに総理大臣になる池田勇人が通産大臣だった昭和25年に、記者会見で発言した言葉。政治家としての本音なのかもしれませんが、正直にもほどがあります。
2の「無礼なこと言うな。バカヤロー!」は、昭和28年に吉田茂首相が国会での野党議員とのやり取りの中で、ついヒートアップして発した言葉。国会は騒然となって、やがて衆議院解散(バカヤロー解散)につながりました。
3の「熊本県では、申請すれば水俣病患者になってカネがもらえるから、そのうちに県民全部が水俣病患者になる。私も熊本県に住んで水俣病患者になりたい」は、昭和54年に「環境問題」をテーマに行なわれた「第2回経団連フォーラム」で、環境庁政務次官を務めていた森下泰が冒頭の挨拶で述べた言葉。当たり前ですが、大きな批判を浴びます。
4の「ヒロポンは戦前は薬局で売っており、ぼくらの学生時代には試験の前などによく飲んでいた。気持ちがいいし、能率が上がる」は、昭和57年に自治大臣だった世耕政隆が、「なくせ暴力団、覚醒剤、交通事故」というテーマの対談番組で発言。その頃は合法だったとはいえ、立場や状況をあまりにもわきまえていなさすぎと言えるでしょう。ちなみに、現在の自民党幹事長・世耕弘成議員の伯父さんです。
続いて、「芸能界編」の正解を発表します。
【正解】1‐エ、2‐ウ、3‐ア、4‐イ
1の「女優を2号(妾)にしたのではなく、2号を女優にしたのだ」は、昭和35年に映画会社である新東宝のワンマン社長だった大蔵貢が、所属女優との関係を問われて発した言葉。たぶんそういうことなんでしょうけど、開き直るにもほどがある発言です。
2の「私作る人、僕食べる人」は、昭和50年に放送されたインスタントラーメンのテレビCMにおけるやり取り。婦人団体から「性的役割分担の固定化につながる」と抗議を受けて、CMは2カ月で放送中止になりました。日本においてジェンダー的な観点から問題視された記念すべき第一号の事例です。今なら多くの人が敏感なコンプラセンサーで危険性を察知するでしょうが、当時は「気にするにもほどがある」という声が大半でした。
3の「おばさん、歌うまいね」は、昭和55年に当時15歳だった近藤真彦が、とあるテレビ番組のリハーサルの際に、日本を代表する大物歌手である美空ひばりに向かって言った言葉。大胆にもほどがあるというか何というか……。ただ、この“事件”をきっかけに、美空ひばりは近藤真彦をかわいがるようになったそうです。
4の「オ×××」は、昭和59年にアイドルとしてデビューして2年目だった松本明子が、『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』と『オールナイトフジ』がコラボした生放送の番組の中で、念入りに3回連続で発した放送禁止用語。共演していた片岡鶴太郎や笑福亭鶴光が、冗談で「言えば売れるかもよ」とそそのかしたとのこと。以来、2年ほど芸能界から干されてしまいますが、結果的には先輩たちのアドバイス(?)どおりになりました。
とまあ、昭和の底力を感じさせてくれるパワフルな不適切発言の数々をご紹介いたしました。勇気を授かったり失言の怖さを思い知ったりしたことと存じます。いつの時代も、人は不適切と無縁では生きられません。不適切と適度な距離で上手に付き合いながら、時には不適切なことを言ったり不適切を楽しんだりしましょう。