死ぬのが怖い(2024年2月28日『山陽新聞』-「滴一滴」)

 せっかく梅のつぼみがほころんだのに、ここ数日は寒さがぶり返している。東北は記録的な大雪とか。季節は行きつ戻りつしながらゆっくり歩を進めているらしい

▼紅白の梅、これから咲く桃や桜と、枯れた景色が装いを変えていくさまは何回見ても飽きることがない。できれば満月のころ、満開の桜の下で逝きたいと歌った西行法師の一首は確かに夢がある

▼それを踏まえつつ、全く逆を詠んだのが小林一茶である。〈花の影寝まじ未来が恐ろしき〉。未来とはあの世。桜の下でうかうか眠って死んでしまうのが怖い。苦労続きでも生きていたい。脳梗塞で倒れた後の句という

▼この人物はどんな思いで花の便りを聞いてきたのか。1970年代の連続企業爆破事件に関与した疑いで指名手配されていた「桐島聡容疑者」を名乗り、先月、入院先で病死した男だ

▼最期に素性を明かすまで半世紀近くを偽名で生きた。街のバーを飲み歩き、気さくな音楽好きとして溶け込んでいた。酒仲間と銭湯に通ったり、誕生日を祝ってもらったり。そこに「潜伏中の過激派」の印象はない

▼だが忘れてはならないのは事件の犠牲者や友人、家族らはそんな日々のわずかな楽しみすら奪われてしまったことだ。男は容疑者本人と特定され、きのう書類送検された。実態が解明されないまま、春がまた巡ってきた。