「昭和のおっさん」が令和の価値観に悪戦苦闘しながら成長をしていく。そんなドラマが最近増えている。 例えば、宮藤官九郎さん脚本、阿部サダヲさん主演のドラマ『不適切にもほどがある!』(TBS系)は1986年の野球部顧問(51)の教師が、現代にタイムスリップするというドタバタコメディーだ。
また、人気コミックが原作の『おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!』(フジテレビ系)も古い常識や偏見で凝り固まった中年男(51)がフタ回り年下のゲイの友人ができたことによって、価値観をアップデートしていく物語である。 このようなトレンドを聞いて、「オレもそろそろ令和の価値観にアップデートをしなくては」と決意をあらたにしているアラフィフ男性も多いはずだ。ただ、いくらジェンダーだルッキズムだ、コンプライアンスだ、という令和の常識のうわっつらをなぞったところで、根っこの部分にある「昭和の価値観」をアップデートしなくては意味がない。
◆おっさんの根っこにある「昭和の価値観」とは
筆者は企業危機管理を生業としている関係で、パワハラ、セクハラ、不適切発言などで処分を受ける「昭和のおっさん」を数多く見てきた。彼らの多くは管理職研修やコンプライアンス研修を受けて、知識としては「今の時代これがアウト」ということはよく分かっていた。
にもかかわらず、頭にカッと血が上ったり、酒に酔ったりというふとしたきっかけで「昭和の価値観」が頭をもたげてしまうというパターンが非常に多い。 では、それは何か。“令和のコンプラ”を逸脱したおじさんたちの釈明に耳を傾けてきた経験から言わせていただくと、以下の3つがある。 1.人は「痛み」がないと成長しない 2.「やりたくないことをやる」のが大人だ 3.「みんな」に迷惑をかけてはいけない
◆人は「痛み」がないと成長しない
1に関しては、これまで話を聞いた「パワハラ管理職」の8割以上がこの思考に取りつかれていた。 このような人は多くが、学生時代の運動部で体罰やシゴキ、あるいは新入社員時代に上司からの理不尽なパワハラなどを経験しており、それを乗り越えたことで「自分は強く成長した」という思いが強い。だから、それを「良かれ」と思って、部下や後輩に再現をする。 数年前、五輪が期待された新体操の女子選手に対してコーチが体罰をしていたことが大きな問題になったが、このコーチは謝罪会見で「自分も現役の時にそのように指導をされたから」と釈明をした。彼のように表向きは「パワハラ撲滅」と言いながら心の中で「体罰」「シゴキ」などの教育効果を信じている「昭和のおっさん」はまだかなり存在しているのだ。
◆「やりたくないことをやる」のが大人だ
2の「『やりたくないことをやる』のが大人だ」という価値観は、部下のやる気をそぐムダで無意味な仕事、いわゆる「ブルシットジョブ」を他人に押し付けてくる「昭和のおっさん管理職」に多い。
理不尽なパワハラと同じく、このような人も組織の中で自分が長く「ブルシットジョブ」に従事してきた傾向が強い。若い世代から「ムダ」や「無意味」と否定されることは、自分の会社員人生を否定されることなので全力でブルシットジョブを「意味があること」だと主張して、自分と同じ経験をしろと迫る。そこで若い世代が嫌がったり、もっと効率的に仕事を進めたりしようとすると、「最近の若い奴は根性が足りない」「我々が若い頃は」という説教モードに入ってしまう。
また、「我慢」を美徳とするので、若い人たちが何か新しいチャレンジを始めようとしたり、時代に合わせて改革に動き出したりすると、「そんなに甘くない」「もっと話し合いを」と否定的なことを言って潰しにかかることも多い。
「昭和のおっさん」からすると仕事は「つらく苦しく、やりたくないことをやるもの」なので、「こっちの方が効率がいい」「こういう改革をすれば現場も楽しい」なんて話を素直に受け入れられないのだ。
◆「みんな」に迷惑をかけてはいけな
最後の3の「『みんな』に迷惑をかけてはいけない」は、社内イジメやわが子への虐待をする人によく見られる傾向だ。
筆者が過去ヒアリングをしたある企業の50代管理職は、部下に対して厳しい指導や叱責を繰り返すうちに、その部下が自殺をしてしまったことがある。
では、なぜそんなにこの管理職は部下につらく当たっていたのかというと、この部下の同僚たちから「仕事が遅い」「態度が悪い」「みんなで一致団結しなくてはいけない時に協力的ではない」というクレームが多く寄せられたからだ。
この管理職からすれば自分はやるべきことをやっただけという意識が強く、「亡くなったのは気の毒だが、会社に迷惑をかけ続けた本人が悪い」と最後まで非を認めなかった。
このような人の多くは、「マジメな組織人」だ。学生時代も校則をしっかり守る優等生に多いタイプで、とにかくこの世で1番重要なことは「みんなに合わせること」だという信仰にも近い思い込みがある。だから、「みんな」と同じことができない、「みんな」が守っているルールや秩序を守れないというだけで、部下やわが子を「人間失格」のように激しくののしるなどの精神的虐待にのめり込んでしまうのだ。
◆自分が受けてきた「教育」を否定したくない
さて、以上の3つの価値観を聞いて、カンのいい方はお気付きだろう。実はこれは全て「昭和の学校教育」が柱としていたことだ。
「野球部の練習中は水を飲んではいけない」「不良少年は愛のある鉄拳制裁で更生させる」など当時の熱血教師たちの指導は全て、「痛み」によって成長をさせるためだ。
また、クラブ活動や運動会など子どもの意志を無視して「強制参加」のイベントも多い。幼い頃から「やりたくないことをやる」のが立派な社会人という教育方針があるのだ。
さらに、異常なほど「みんなに合わせる」を叩きこむ。何かクラスで問題があれば連帯責任ということで、学級会などを開いて「みんな」で問題解決に当たらせる。大縄跳び競争、人間ピラミッドなどの「みんな」で1つのことに取り組ませる。
「集団」のためには「個」を殺すことを叩き込むが日本の学校だ。 人は自分が受けてきた「教育」を否定したくない。実はこれこそが、「昭和のおっさん」がなかなか価値観をアップデートできない根本的な原因なのだ。 この記事の筆者:窪田 順生 テレビ情報番組制作、週刊誌記者、新聞記者、月刊誌編集者を経てノンフィクションライター。また、報道対策アドバイザーとしても、これまで300件以上の広報コンサルティングやメディアトレーニング(取材対応トレーニング)を行っている。
窪田 順生
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