72歳会社会長、本気の歌手デビュー 社員への感謝は社歌になり(2024年2月25日『毎日新聞』)

3月に新曲「I LOVE NAGOYA」をリリースする歌手のKen Kanoこと加納康昭さん=名古屋市中区で2024年2月20日、森田采花撮影拡大
3月に新曲「I LOVE NAGOYA」をリリースする歌手のKen Kanoこと加納康昭さん=名古屋市中区で2024年2月20日、森田采花撮影

 72歳でデビューした歌手がいる。Ken Kano。本職が発泡スチロール会社の会長だけに「軽い」気持ちで始めたのかと思いきや、歌には「人生と愛」が込められていた。最初のCD発売から1年を経て3月13日に新曲「I LOVE NAGOYA」をリリースする。名古屋の魅力を詰め込んだサンバ調の歌で「元気と勇気」を届ける。

 名古屋市昭和区生まれで、中区に本社を置く発泡スチロール製造販売会社「アステックコーポレーション」会長の加納康昭さん(74)。大学卒業後、同業他社で経験を積み、父元弘さんが始めた会社を1988年に引き継いだ。国内約15カ所に事業所や工場を構え、250人の従業員がいる。

 加納さんの人生は挑戦の連続だった。20歳から10年ごとに目標を決め、そのほとんどを達成してきた。30歳で「会社を20作る」と掲げ、米国でレストランを開き、中国に関連会社を作るなど18社を設立した。英会話スクールで英語力を磨き、調理師免許も取得した。

 70歳で掲げた目標が「歌手デビュー」だ。若い頃から歌うのが大好き。結婚前は毎日カラオケスナックに通い、給料袋をもらうと、中身も見ずにママに手渡していたという。

 「挑戦するなら、とことん高みを目指す」。知人に名古屋市緑区の音楽会社「MIEミュージックビレッジ」代表の松永躬依(みえ)さんを紹介してもらい、レッスンを始めた。歌声を聞いた松永さんは「低音はよく響いて魅力的。高音がうまく出ていなかったので鍛えればデビューできると思った」と振り返る。

 月2回のレッスンに加え、声を遠くまで響かせるため腹筋を鍛えるストレッチを毎日続け、「包容力のある高音」が出せるように発声練習を繰り返した。

3月に新曲「I LOVE NAGOYA」をリリースする歌手のKen Kanoこと加納康昭さん=名古屋市中区で2024年2月20日、森田采花撮影拡大
3月に新曲「I LOVE NAGOYA」をリリースする歌手のKen Kanoこと加納康昭さん=名古屋市中区で2024年2月20日、森田采花撮影

 加納さんには、どうしても作りたい歌もあった。会社のイメージソングだ。

 2011年3月11日の東日本大震災。青森や岩手、茨城にある事業所や工場が津波で流され、倒壊した。約50人の従業員は助かったが、厳しい生活を強いられた。売り上げは一時震災前の6割に落ち込み、借入金は38億円に膨れ上がった。「立て直しのため一丸となって頑張ってくれた従業員には苦労をかけた」

 感謝の気持ちを込めて松永さんと作詞し、松永さんが曲を付けた「そして今~これからも」は「遥(はる)か遠い荒野を目指して 喘(あえ)ぎながらも 前を向き進んだ」という歌詞で始まる。デコボコな道を歩き続けた。でも、過ぎてみると、いつの間にかきれいな花が咲き、明るい日がさしていた。そこにはいつも励ましてくれる君たちがいた。ありがとう――。こんなセリフも織り込んだ曲は社歌になり、従業員たちが口ずさむ。

 この曲と、加納さんの人生をモチーフにした松永さん作詞作曲の「Wonderful Lifeを君と」を収録したCDを23年1月に発売。米国駐在時に呼ばれた愛称「Ken」を芸名にしてデビューを果たした。

「I LOVE NAGOYA」3月リリース

 「薔薇(ばら)の花香る鶴舞ガーデン」「金のシャチ輝く名古屋キャッスル」「海の幸いっぱいの知多ペニンシュラ」……。新曲は歌詞に名古屋と愛知の名所をちりばめた。「懐かしいあの景色が 明日への勇気くれるのさ」と呼びかけ、「I LOVE NAGOYA」と繰り返して「世界に轟(とどろ)け」「愛に溢(あふ)れ 愛を知る街」と歌い上げる。「幅広い年代の人に歌ってもらい、愛知県民なら誰でも知っている曲にしていきたい」【森田采花】