立ち退き、樹木の伐採…神宮外苑の再開発はずっと「住民置き去り」 霞ケ丘アパート住人だった女性の思い(2024年2月25日『東京新聞』)

 多数の樹木を伐採し、超高層ビルを建設する東京・明治神宮外苑地区の再開発の見直し運動に、特別な思いで参加している女性(76)がいる。女性は外苑地区で先行した国立競技場の建て替えで、都営霞ケ丘アパートから立ち退きを強いられた。開発ありきで住民を置き去りにする行政や企業の姿が、女性の話から浮かぶ。(森本智之)

◆生まれ育った場所に戻って母と暮らしていたら

 霞ケ丘アパートは戦後間もない1946年に整備され、64年の東京五輪を前に鉄筋コンクリート造りに生まれ変わった。
 女性はここで生まれ育った。結婚して東京郊外で家族と暮らしたが、90歳を超えた母親と一緒に暮らすため戻ってきた。
 だが、2度目の五輪招致を目指して国立競技場を巨大化して建て替えることが決まると、目と鼻の先にあったアパートは計画の敷地に含まれるとして解体されることになった。
取り壊される前の都営霞ケ丘アパート(手前)と旧国立競技場=2013年9月、新宿区で、本社ヘリ「おおづる」から

取り壊される前の都営霞ケ丘アパート(手前)と旧国立競技場=2013年9月、新宿区で、本社ヘリ「おおづる」から

 都の通告は突然だった。2012年7月、担当者が訪れ、町会側に立ち退きを「決定した」こととして告げた。当時200世帯以上が暮らし大半は高齢者。「寝耳に水」「騙(だま)された気がして残念だ」。当時の町会の資料には住民の憤りが記されている。
 都の文書によると、同年5月、佐藤広副知事(当時)が森喜朗元首相に外苑再開発について説明した際「(アパートの移転は)国策として進めていく」と明言していた。住民はかやの外だった。
 女性は「都の言っていることがあまりにも勝手」と感じた。「何十年も一緒だったみんなと安心して暮らし続けたいだけなのに」

◆再開発で家から追いたてられ、母は亡くなった

 高齢の母にとって慣れ親しんだ土地を離れるのは大きな負担になる。せめて移転先は近くにしてほしいと求めたが、都側は応じず、立ち退きを求めて提訴された。最終的に都は和解を提案。2016年末、外苑のイチョウ並木に近い都営アパートに移転先が決まる直前、母親は亡くなった。
 霞ケ丘アパートはその後、解体された。すぐ隣に民間マンションや、日本オリンピック委員会が入るビルなど高層建築ができた。一帯は厳しい高さ制限があったが、国立競技場建て替えで緩和され、開発を手助けした。五輪のような巨大イベントでは、再開発により従来の住民が生活を追われる「ジェントリフィケーション」(都市の富裕化)が加速する。その明暗を象徴するような出来事だった。
東京・明治神宮外苑地区の再開発について話す女性。霞ケ丘アパートの立ち退きも経験した

東京・明治神宮外苑地区の再開発について話す女性。霞ケ丘アパートの立ち退きも経験した

 女性が今回の再開発を知ったのは移転後の19年春。「これは大変なことになる」と感じ、自治会長の近藤良夫さんに「よく確認しないと手遅れになるかもしれない」と連絡した。
 再開発は神宮球場秩父宮ラグビー場の建て替えと聞いていた近藤さんは「いいんじゃないの」と思っていた。ところが、女性からの連絡直後、外苑の景観を一変させる超高層ビルが立つことが分かり、「言われた通りだ」と驚いた。以来、事業者や東京都が開く説明会に全て出席した。近藤さんは言う。「説明会はいつも『こういうふうに決まりました』と告げるだけ。反対意見が出たら、再検討してもいいはずなのに」

◆「目先のことだけで開発されようとしている気がして…」

 住民への説明が後回しになるのは外苑地区に限らない。日本の再開発ではデベロッパーなど事業者や規制緩和の権限を持つ行政が内々に計画を検討し、「住民合意は後から形だけ、のケースがほとんど」(都市計画学者)。大半は事業者や行政の青写真通りに進む。
 女性にとって外苑地区は子どものころから思い出深い場所だ。近藤さんらと協力し、計画見直しの署名を集め、再開発事業の施行認可の取り消しを求める訴訟の原告にも名を連ねた。「みんなが『ここにいると気持ち良い、癒やされる』と思えるだけの場所があってもよいと思う。目先のことだけで開発されようとしている気がして残念です」と話す。