「かんべんせい」(2024年2月25日『高知新聞』-「小社会」)

 お酒に寛容な県民性にも、長い歴史を振り返れば例外の時期はある。戦国時代のこと。軍事面への影響を懸念した長宗我部元親が、領内での酒造りを禁じるお触れを出している。

 それが原因となって、元親は思わぬ「謀反」に遭う事態に。実は元親、自ら出した禁酒令を守れず、城にこっそりと酒だるを運び込ませていた。その場に出くわした重臣は事情を察しつつも、酒だるを全てたたき割った。

 元親にとがめられ「むしろ法度を守るがため」と抗弁する重臣。「それとも、殿の御用のお酒でござるか」と反撃に出た。絶句する元親。ついには苦笑して白状する。「かんべんせい、おれの酒だ」。小説「夏草の賦」の一場面である。

 司馬遼太郎さんの描く元親像は、謀略を駆使するほの暗さの一方でどこか人間くさい。司馬さん一流の脚色だが、禁酒令がいき過ぎだったと撤回した経緯は研究史料にも残っている。たとえ朝令暮改でも、素直に非を認める姿勢は為政者にも必要だろう。

 時を経て、ルールをつくる人間がルールを破ったとみると、自民党裏金事件に重なる。ただ、こちらに潔さはない。政治倫理審査会を巡る与野党の攻防も、説明責任の言葉は躍れど、自民党の消極姿勢ばかりが目立つ。ここにきてまだ出席の条件でごねる様子は何とも見苦しい。

 衆院の政倫審でも事件の解明が進まないなら、有権者の方こそ「もう、かんべんせい」と言いたくなる。