60~80代の「仕事の実態」…なぜ定年後に価値観がガラリと変わるのか(2024年5月6日『現代ビジネス』)

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 年収は300万円以下、本当に稼ぐべきは月10万円、50代で仕事の意義を見失う、60代管理職はごく少数、70歳男性の就業率は45%――。
 
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 10万部突破のベストセラー『ほんとうの定年後』では、多数の統計データや事例から知られざる「定年後の実態」を明らかにしている。

新しいキャリアに向けたスタートをいかに踏み出すか
 定年前のキャリアと定年後のキャリアには大きな断絶がある。多くの人は、定年に差しかかるなかで、他者との競争に勝ち残ることを目指す働き方をやめる。その代わりとして、身近な仕事を通じて人の役に立つことに徐々に積極的な価値を見出すことになる。
 自身の生活を豊かなものにしたい。家族に良い思いをさせてあげたい。現役時代にこうした考えで必死に働いていた人が、第三者の誰かの役に立ちたいと言って仕事をするようになる。人に誇れるような仕事に就きたいと考え、自身のキャリアを高めるための競争に日々明け暮れていたような人が、仕事を通じて体を動かすことが楽しいと言うようになる。このような変化が、実際に起きているのである。
 定年を迎えることに前後して、多くの人は組織内でどこまで昇進していくかという一世一代のゲームを降りる。そして、その後に、仕事を心から楽しめる定年後の新しいキャリアをスタートする。
 それにしても、現役時代に続けてきた働き方や仕事に対する考え方を、人はなぜこれほどまでにもがらりと変えることができるのだろうか。本稿では、そのメカニズムを解明するため、定年後の就業者の事例とその実際の声を紹介していきたい。
日本国有鉄道から市役所に転職
 山村幸次さん(64歳、年収約400万円)は大学の土木工学科を卒業した後、技術職として日本国有鉄道に入社をした。国鉄では新幹線の線路敷設に携わる。当時は上野・大宮間の線路の敷設がまだ行われておらず、東北新幹線に乗る際には大宮発という時代であった。山村さんは上野・大宮間の線路、高架橋の躯体工事の現場監督として仕事を行った。
 入社して数年後、国鉄が民営化されJRへと変わるタイミングで、山村さんは会社を退職することを決める。民営化で首都圏の業務に限定されてしまうと、新規の工事の枠が小さくなり、希望する部署に行けない可能性が高かったからだ。
 「極論を言っちゃうと、もう民営化されると、たとえば駅そば屋とかキオスクとかああいう関連会社へ行かされるという噂もあって。まだ若かったので、逆に外に出たほうがいいだろっていう判断に回ったんです」
 山村さんが次の職場に選んだのは、地元である栃木県の市役所。市役所に入った後は、下水道関係の課に配属になった。そのあと河川や道路分野の仕事を経験。途中で県への出向なども挟み、自身の専門分野を活かしながら地域のインフラの維持・整備の仕事に携わる。
 「仕事をしていくなかで自分でも壁にぶつかったときもいくつかあります。たとえば、数日大雨で降雨量が増えてしまったとき、国交省の水門を閉められないかと。普通は一地方自治体の要請で国の管轄の水門の開閉をお願いするというのは難しいんですけど、粘り強く調整したら、『なんとか協力しましょう』と国も協力してくれた。工事を請け負ってる会社も感謝してくれて。大きな仕事を成し遂げたとき、やっぱり達成感もありましたね」
坂本 貴志(リクルートワークス研究所研究員・アナリスト)
 
【体験格差】子どもに体験をあきらめさせたことがあるか、親たちの回答から見えてくること(2024年5月6日『現代ビジネス』)
 
 習い事や家族旅行は贅沢? 子どもたちから何が奪われているのか? 
 低所得家庭の子どもの約3人に1人が「体験ゼロ」、人気の水泳と音楽で生じる格差、近所のお祭りにすら格差がある……いまの日本社会にはどのような「体験格差」の現実があり、解消するために何ができるのか。
 発売即重版が決まった話題書『体験格差』では、日本初の全国調査からこの社会で連鎖する「もうひとつの貧困」の実態に迫る。
 *本記事は今井悠介『体験格差』から抜粋・再編集したものです。
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「あきらめさせた」と感じる背景
 親による子どもの「体験」の捉え方やそれへの意向を理解するうえでは、調査の別の項目も参考になった。それは、「子どもがやってみたいと思う体験をあきらめさせたことがあるか」を聞いた設問だ。
 この質問に対する親からの回答を、親自身の小学生時代の「体験」の有無と掛け合わせたところ、子ども時代に「体験」をしていた親のほうが、子ども時代に「体験ゼロ」だった親よりも、自分の子どもがやってみたいと思う「体験」をあきらめさせたことのある割合がかなり高くなった(逆ではない)。前者が62.4%であるのに対し、後者では25.2%にとどまる(グラフ22)。
 ちなみに、同じ「あきらめさせた経験」への回答を世帯年収と掛け合わせたところ、あきらめさせたことのある割合は、「300万円未満」で49.1%、「300万~599万円」で54.9%、「600万円以上」で58.9%となり、経済的な壁のより高い低所得家庭で「あきらめさせた経験」がより多く見られたわけではなかった。
 ここから示唆されるのは、親自身が子ども時代に何らかの「体験」をしてきたこと自体が、自分が親になったあとに我が子に対して価値のある「体験」をさせてあげたいという気持ちや欲求を持つことの土台となっているのではないか、そして子どもに対してその「体験」を「させてあげたい」という気持ちをより強く持つからこそ、経済的な事情など様々な理由で「させてあげられなかった」と感じる状況もより生まれやすくなっているのではないか、ということだ。
 つまり、親自身がピアノにせよサッカーにせよ、水泳にせよ登山にせよ、それらの「体験」に一定の価値を感じていなければ、子どもにそれを「あきらめさせた」という思いになりづらく、同時に親自身がその「体験」に価値を感じる背景として、自分自身の子ども時代の「体験」があるのではないか。
 実際に、子どもにキャンプなどをさせたことがないという親から話を聞くと、自分自身も子ども時代にそうした自然体験をした思い出がないという。そして、もし今お金や時間に余裕ができたとしても、そのお金と時間はきっとキャンプとは別のことに使うと思うと語っていた。視野をさらに広げれば、かつて親自身が子ども時代にどんな「体験」をしていたかに対しても、その親(=祖父母)の子ども時代の「体験」のあり方が関係していたと考えるほうが自然だろう。
 どうやら体験格差という問題は、同世代の子どもたちの間にある格差として捉えるのみでは十分ではなさそうだ。世代を超えて格差が連鎖すること、世代を超えて格差が固定化している可能性まで含めて、この問題を見ていく必要がある。
 ある子どもが何らかの「体験」に興味を持たない、やりたいとも感じない状態には、個人的な趣味や好み以上の背景がある。
 そうであればこそ、社会全体で子どもの体験格差の解消を考えるのなら、「やってみたいのにできない」子どもたちだけでなく、「何に興味があるのかがまだ見つかっていない」子どもたちにまで目を向けるべきだ。
 そして、何か一つの「体験」を無理やり押し付けるのではなく、色々な「体験」に触れられる機会を用意し、その中から好きだと思える「体験」を見つけるサポートをしていくべきだろう。
 本書の引用元『体験格差』では、「低所得家庭の子どもの約3人に1人が体験ゼロ」「人気の水泳と音楽で生じる格差」といったデータや10人の当事者インタビューなどから、体験格差の問題の構造を明かし、解消の打ち手を探る。