「セクシー田中さん」の漫画家芦原妃名子さんが亡くなった件で、さまざまな議論がおこっています。 今回はその整理の意味での回。
先々週のAERAで、日本脚本家連盟常務理事の〈原作も脚本も、ドラマや映画を作る際の原著作物という意味では、それぞれに著作権、著作者人格権があります〉というコメントがありました。が、ドラマの脚本はあくまで二次著作で、著作権は原作者にあり、同一性保持権といって、著作者には自分の作品を脚本家といえども勝手に改変させえないという権利が認められています。
そのことについて版元もテレビ局も理解したうえで、原作者が手を離して、ドラマ制作者側の翻案を信じる、そして本も売ろうという場合もある、ということなんです。
テレビ局や版元が、「ドラマの著作権も原作者にある」ということについての意識が薄い場合に、えてしてトラブルになります。 今回はその最悪のケースです。
■私も経験したドラマ創りの難しさ
私は以前版元にいたので、ドラマ制作の難しさを実際に経験しました。
2011年3月11日に発生した東日本大震災。
東北の地元紙である河北新報が、電気もガスも水道も止まり、道路網もずたずたに分断されているなか、どう取材活動を続け、1号も欠かすことなく新聞を届け続けたか。それを当事者である河北新報社がつづったノンフィクション『河北新報のいちばん長い日』(文藝春秋)の私は担当編集者でした。
この本をいち早くドラマ化したいと申し出てきたのがテレビ東京でした。報道畑の旧知のプロデューサーから連絡があり、他局が「阪神淡路大震災でも、ドラマ化できたのは、15年たってからだった」とぐずぐずしているところを、本の刊行された2011年10月の直後にドラマ化権を取得し、脚本づくりがすぐに始まりました。
私は編集担当だったので、著者である河北新報社の代理人として、この脚本の承認過程にもかかわったのです。
このとき、難しかったのは、くだんの旧知のプロデューサーは、ドラマ局の意向も無視できなかったことです。
ドラマの部署は、ゴールデンタイムに放送するものであるからと、原作の報道色を薄め、震災に遭遇した家族の物語としてこのドラマをつくろうとしていました。実際にあがってきた脚本も、原作にはない家族のホームドラマがメインになったものだったのです。
しかし、当時の河北新報は、震災から半年以上たったとはいえ、社員たちは、新聞を届けるために必死で働いていました。
河北新報社は震災直後の5月に全社員にアンケートを行っていますが、たとえば「辛かったこと」に震災孤児取材をあげていた26歳の記者のこんな声がありました。
〈途中、自分が何を聞いているんだか分からなくなり、頭が真っ白になった。女子中学生は途中で泣きそうになり、怒りだした。自分のやっていることが情けなく思えた。
男子中学生とは安否確認の掲示板(避難者名簿)を一緒に見に行った。載っていない父親の名前をずっと探し、同じ場所を何度も何度も確認していた彼の姿を見てつらかった。取材にあたって自分が彼らにしてあげたことは何ひとつなかった〉
こんな状況だったので、脚本の第一稿はとうてい受けいれられるものではなく、「家族の話は、別に舞台が河北新報社ではなくともできる。この原作は、自ら被災した新聞社が被災した地元を報道しつづけたということに意味がある」と言って、書き直しをお願いしました。
第2稿、第3稿、第4稿……。脚本はなかなかこちらの思うようには、まとまりませんでした。
これでは、河北の人たちに顔がたたないと、自分で脚本の代案を書いて、プロデューサーに提示し、大げんかになったりもしました。
私がそのとき書いた脚本の代案は、尺という長さもわからず、場面展開も要領をえなかったために、脚本としてはまったく不出来なものでした。
しかし、このプロデューサーが偉かったのは、不出来な代案を読んでこちらの意図がよくわかったと、社内の立場が悪くなることを承知で、ドラマの部署を説得したことです。
今回、芦原さんが亡くなった直後に日本テレビが出したコメントは、自分たちに責任はない、ということを前面に押し出しているようで、「組織」しか感じられませんでした。
すぐれた作品は、組織の中の個人が、組織の空気を破って、作品の価値にかけるときにできる。テレビ東京のプロデューサーはそういう人でした。
そして、この時の脚本家が、このコラムの14回で紹介した「#居酒屋新幹線」の脚本家、横幕智裕さんでした。彼のあげてきた第7稿を見たとき、プロというのはこういうものか、と本当に感心しました。
第7稿は、被災した新聞社がいかに被災者に新聞を届けるか、という原作に忠実でありながら、枝葉をかりとり、実名で登場人物が描かれる感動的なドキュドラマにしあがっていました。
原作にもあった26歳の記者のアンケートは、書けなくなってしまった女性記者のモノローグで再現されていました。
河北新報社で社員とその家族を対象におこなわれた試写会では、涙を流しながらみる人も多くいました。
そして、震災一年後に放送されたこのドラマでテレビ東京は、局始まって以来の日本放送文化大賞のグランプリを受賞し、東京ドラマアウォードも受賞することになります。
■永遠に失われてしまった芦原さんの新たな創作
2015年には、NHKと講談社の間で争われた辻村深月さんの小説『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』の映像化契約解除の事件での東京地裁の判決が出ました。
この判決で「NHKは、原則として、本件小説に辻村の意向に反するような脚本を制作することは許されない」とされ原作者が合意できない場合は、ドラマ制作の途中でも映像化を白紙にできると確認されたのです。
これは、ドラマの制作を白紙に戻されたNHKが講談社を約6千万円の損害賠償で訴えたものでしたが、請求はすべて棄却されました。
6千万円の損害賠償訴訟を受けてまで、著作者人格権を守ろうとした講談社に比べて、今回の小学館の編集部の声明には唖然としました。
〈原作者である先生にご納得いただけるまで脚本を修正していただき、ご意向が反映された内容で放送されたものがドラマ版『セクシー田中さん』です〉
これは、日本テレビの声明とそっくりです。それではなぜ著者は9話、10話でなれない脚本を自分で書き、あげく自死を選んだのか?
原作の著作権が軽視されれば、そもそも最初の作品を作ろうとする人がいなくなる。
連載途中だった芦原妃名子さんの『セクシー田中さん』の続きも新しい創作も永遠に失われてしまいました。
そのことの意味を私たちは今一度よく考える必要があります。
芦原さん、どうぞ心安らかに。
ご冥福を心よりお祈りもうしあげています。
※AERA 2024年2月26日号