能登半島地震では、最大震度7を観測した石川県志賀町(しかまち)で、志賀原発周辺の道路が寸断し、住民避難の難しさを浮き彫りにした。原発から5~30キロ圏内の緊急防護措置区域(UPZ)では、少なくとも400人以上が1週間にわたって孤立し、住民からは「避難計画は無意味だった」との声が相次ぐ。北海道電力泊原発(後志管内泊村)の周辺でも、集落が点在するが、道の避難計画では、大勢の住民が孤立した場合の対応が明記されておらず、対策が急務となっている。
山あいの同地区は、土砂崩れや亀裂が入って道路が寸断し、自衛隊が救助に入るまでの1週間、住民約40人が孤立し、電気や通信も途絶えた。宮下さんは、電池式のラジオでニュースを聞き、夜になって放射能の影響はないと知ったが、「今すぐ避難しろと言われたら、裏山を自力で越えるしかなかった」と振り返る。
志賀原発は北陸電力が再稼働を目指し、原子力規制委員会の審査を受けている。地震では原発1号機の直下で震度5強を観測したほか、外部電源が一部喪失し、使用済み燃料プールの冷却ポンプが一時停止して水があふれるなど、設備のトラブルが相次いだ。
UPZ内の山是清地区では多くの住宅が損壊し、避難所となる集会場などもなく、県が原発事故時の避難計画で定める「屋内退避」ができない状況だった。数日間、車中泊などで過ごした中村孝吉さん(84)は「逃げるにも逃げられず、余震が怖くて家にもいられなかった」と話す。
志賀原発周辺では、県が避難ルートに定める国道や県道計11路線のうち、7路線が通行できなくなった。11路線につながる道も各地で寸断し、30キロ圏内の輪島市と穴水町では8集落で計435人が孤立状態となった。県の原子力防災担当者は「車での避難は現実的に難しかった。ここまで大きな地震が起きるとは思っていなかった」と話す。
志賀原発周辺の放射線量を測るモニタリングポストも116カ所のうち18カ所で観測不能となり、一部地域で避難を判断するデータが得られなかった。30キロ圏内の避難計画は、規制委の指針に基づいて自治体が作成するよう義務づけられている。規制委は今回の地震を受け、指針を見直すため、屋内退避のあり方について議論を始めた。
志賀町などでは昨年11月、原発事故を想定した県の避難訓練が行われ、住民がバスに乗って町外に移動する手順を確認した。参加した同町荒屋地区の区長中谷松助さん(72)は「緊張感はなく、住民は旅行気分だった」と思い返す。訓練に使われた国道と県道はいずれも地震で寸断された。
今回の地震では、海岸が隆起し、多くの港が使用不能となった上、能登空港の滑走路に亀裂が入り、海路や空路の避難も困難にさせた。中谷さんは続ける。「重大な原発事故は地震と津波を原因とする可能性が高いことは分かっていたが、訓練で大津波警報の発令や、道路の寸断をしっかり考慮できていなかった。原発の賛成派も反対派も、避難計画に実効性がなかったことがよく分かった」(尹順平、木村啓太)
■泊、寸断時の対応不明確 訓練、がれき撤去まで
地震や津波被害に伴う北海道電力泊原発の重大事故に備えた道の避難計画では、能登半島地震で発生した地盤の隆起や亀裂によって、避難経路が寸断された場合の対応が詳細に定められていない。今回の地震を受けた防災計画や避難訓練の見直しについて、道は「国の防災計画の指針が改定されれば、対応を考えたい」と受け身の姿勢で、泊原発周辺の住民や自治体からは不安の声が上がる。
道の地域防災計画(原子力防災計画編)は、原発5キロ圏の住民約2600人を優先的にバスや自家用車で区域外へ避難させ、同5~30キロ圏も屋内退避後、状況に応じて避難させる。道路の復旧はそれぞれの道路管理者が進めるとしている。
避難道路が使えない場合は「陸路以外での避難を優先的に考えることになる」(原子力安全対策課)という。陸上自衛隊や海上保安庁に協力を要請し、ヘリコプターや船の使用を想定するが、能登半島と同様に積丹半島全域が孤立し、避難者が多数に上った場合や、天候が荒れやすい冬季の対応は想定していない。空路や海路の訓練は、少人数をヘリや船で避難させる内容にとどまる。
住民からは不安の声が上がる。約3千人が暮らす後志管内古平町は、国道229号が使えなくなれば、他に迂回路はない。同町で障害者向けグループホームを運営する古平福祉会の上野宗範事務局長(56)は「船やヘリでの避難は、恐怖心から乗るのを拒否する入所者も出てくる。慣れるため、陸路以外の訓練を繰り返し実施してほしい」と訴える。