お笑いコンビ「ダウンタウン」の松本人志さんが、女性に対して性行為を強要したなどと報じた週刊誌記事をめぐり、文藝春秋社などに対して名誉毀損の訴訟を起こしました。
一連の出来事について、多くの人が、裁判になれば松本さんが本当に性加害を加えたのか白黒がつくと考えているようです。
「記事には十分に自信」とコメント。週刊文春を発行する文藝春秋本社(写真2枚) ひょっとすると松本さん自身や所属事務所である吉本興業も同じように考えているかもしれませんが、現実の裁判は多くの人の想像とは異なります。
あくまで一般論ですが、この裁判では性行為強要の有無については争われず、多くの人が求めている白黒はつかない可能性が高いと考えた方がよいでしょう。
筆者は弁護士など法曹界の人間ではなく、実務家として名誉毀損などの裁判に関わったことがあるという立場ですので、あくまで一般論ということでご理解ください。 今回の裁判は、被害者の女性が訴えているのではなく、記事で名誉を毀損されたと主張している松本氏が起こした裁判です。
したがって裁判で争われるのは、松本氏の名誉が毀損したのかどうかであって、松本氏が加害者だったのかではありません。
通常、公衆の面前でその人を貶める発言を行えば、それが事実かどうかには関係なく名誉毀損が成立します。今回、週刊文春は何十万人あるいは何百万人もの読者に対して、松本氏が性加害を加えたと報じたわけですから、本来であれば自動的に名誉毀損が成立します。しかし名誉を毀損する行為を行っても、適用除外になるケースがあります。
そのひとつが公益性・公共性です。 公益性は少し想像すれば分かると思いますが、政治家のスキャンダル報道などがこれに該当します。今回同じタイミングで、安倍派を中心とした自民党の派閥がウラ金を作り、それを収支報告書に記載していなかったことが問題視されています。もし公益性という概念がなければ、特定の政治家がウラ金を作ったと言ったり、書いたりしただけで名誉毀損が成立してしまいます。
私たちが政治家のことを躊躇なく批判できるのは、公益性・公共性があれば名誉毀損にはならないという民主国家の大原則があるからです。 そうなると、今回の報道の公益性がまず問われることになりますが、普通に考えると、これも自動的にクリアしそうです。
松本氏は誰もが知る著名人であり、公共の電波であるテレビ番組に数多く出演しています。
また、一連の出来事を受けて、多くの関係者から松本氏について「かけがえのない才能を持つ人物」「エンタメ界になくてはならない人」「このままでは日本の宝が失われてしまう」「松本さんのお笑いで救われた人は数え切れないほどいる」など擁護する発言が相次いでいます。
彼らが主張するように松本氏には余人をもって代えがたい才能があり、氏が日本のエンタメ界を背負っているということであれば、明らかに公益性が存在するという結論になるでしょう。
そうなると次に問題となるのは週刊文春がしっかりとした取材をしたのかというところに論点が移ります。 ここで重要なのは、冒頭にも説明した通り、争点は名誉毀損ですから、実際にそうした行為があったのかではありません。
文春側が被害者女性の告発を鵜呑みにせず、関係者などにも丁寧に取材し、性加害があったのではないかと十分に判断できる材料を揃えていれば、(実際に行為があったのかどうかには関係なく)名誉毀損は成立しません。
簡単に言ってしまえば、文春が杜撰な決めつけ取材で記事を書いていれば文春が負けますし、しっかりと取材をしていれば(仮にそうした真実を立証できなかったとしても)松本氏が負けるという図式です。
実際にどうなるのかは、裁判が始まってみなければ分かりませんが、名誉毀損の裁判に関する一般論で考えると上記のようになります。
テレビなどで解説している弁護士の中には、名誉毀損の案件をほとんど扱ったことがないと思われる方もいて、的外れなコメントをしているケースが散見されます。
法がカバーする範囲は膨大であり、弁護士さんといえども、自分がカバーしている分野以外はあまり知識がないというのはよくあることです。 実際に弁護士さんと仕事をするとよく分かりますが、本当に千差万別で、凄まじい能力を持つ方もいれば、誠実に勉強を積み重ねる方もいますし、一方でまったくお話にならないという人も少なくありません。
当該分野での経験や慣れというものも重要ですから、双方がどのようなキャリアの弁護士を雇っているのかも、裁判の行方を大きく左右する可能性があります。 繰り返しになりますが、今回の裁判では、性加害の有無について白黒を付けることができない可能性がそれなりに高いですから、裁判に対してあまり過度な期待は持たない方がよいでしょう。
加谷 珪一