障害者への合理的配慮 対話で社会の壁取り除こう(2024年5月10日『中国新聞』-「社説」)

 共生社会に向け、社会の障壁を取り除く機会にしたい。
 障害者が日々直面する困り事に、個別に対応する「合理的配慮」が事業者に義務付けられた。2016年施行の障害者差別解消法では努力義務にとどめたが、今回の改正法でより責任の重い義務に変更した。施行から1カ月余りで、浸透はこれからだろう。
 障害者の雇用分野では合理的配慮は既に義務だ。改正法施行で想定されるのは、店や売り場で、車いす利用者の移動サポート、聴覚障害者への筆談での説明といった例だ。知的障害者にゆっくりはっきり話し、精神障害の人が落ち着かない様子の時には別室で休めるようにする選択肢も考えられる。障害の特性に合わせた対応が求められる。
 個人事業主やボランティア活動のグループも含まれる。教育分野では私立学校も対象だ。違反しても直ちに罰則の対象にはならないが、悪質な場合は指導や勧告、罰金がある。先行して義務付けられた国や自治体が支援し、広げていくべきだ。
 合理的配慮は、これが正解といった一律の基準はない。改正法は障害者の希望があった場合、過重な負担がない範囲で機会を平等にする配慮を求め、「本来の業務に付随するもの」に限定した。
 だが、政府の対応指針を見ても線引きは曖昧で、希望も多種多様だ。戸惑う場面は出てくるはずだ。「特別扱いできない」「前例がない」との理由で一律に拒むのは義務違反の恐れがある。まずは障害者本人の意見を聞き、対話しながら配慮の方法を見いだすのが肝心だ。
 3月に東京都内の映画館で車いす利用者に従業員が、フロアの段差やスタッフの負担を理由に「この劇場以外で見てもらいたい」と求めた事態があった。交流サイト(SNS)などで議論が起こり、運営会社は謝罪文を公表し、施設の改善や従業員の教育を徹底すると打ち出した。
 こうした議論をどう見ればいいのか。線引きに神経をとがらせ、対立に陥る機会にはしたくない。対話の機会と捉えてともに考え、改善を重ね、新しい社会のルールを生み出すことを目指したい。
 企業や店舗にとって環境改善の負担が伴う一方、誰もが心地いい空間やサービスにつながる面は見逃せない。高齢化の進む日本社会で、むしろ欠かせない投資だろう。
 「現状のままでは困っている人がいると気付き、分かってもらえるようにと期待したい」。本紙広場欄で広島市内の車いす利用者が、自然と理解し合える社会を提案した。これこそ法の趣旨である。
 国連の障害者権利条約で示された合理的配慮の理解が広がったとは言い難い。映画館の議論で、配慮を求めた人にネット上で「特例」「優遇」だとした匿名の誹謗(ひぼう)中傷があったのは典型だ。健常者という多数者の都合に合わせた社会の中で、機会の平等をつくる配慮だとの理解が不十分なのだろう。誰もが加齢や病気は避けられず、ベビーカーを押す時もある。自分ごとと気付くことが第一歩である。