元朝日新聞記者でアフロヘアーがトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。
* * * その長髪と、ある種の柔らかな笑顔は私にも見覚えがあったのだから、日本で最も有名な指名手配写真の一つだと思う。半世紀前に起きた連続企業爆破事件の桐島聡容疑者。神奈川で入院中の男が「自分は桐島」と名乗り4日後に死亡した出来事は、真実のありかは別として、いろいろなことを考えさせられた。
何より、半世紀にわたる逃亡に成功した男がなぜ今になってカミングアウトなのか。私の周囲でも老若男女いろんな人が感想を述べていた。中でも30代男子の「結局は承認欲求ですかね?」という一言にドキッ。確かにそうかも! 我らを悩ませる現代のキーワードが出てきたことで、俄かに「自分ごと」として男のことを想像する。
もし男が本当に桐島だったなら、自分はまもなく死ぬとハッキリした段階で「あの大事件を起こしたのは自分」と告白することは、ある意味コスパ良き選択のようにも見える。自分のしたことが引き起こした負の側面を他者から厳しく突きつけられたり犠牲者と向き合ったりすることなく、「俺はすごいことをやった」という冷凍保存した気持ちを胸に死んでいけるのだから。
でも本当にそれはコスパ最高だったんだろうか。早い段階で逮捕され、取り調べや裁判で延々と自分のことを述べ他者の言うことを聞き、結果として罪を償うというのは避けるべき道だったのか。それを避けることに成功したことは、人生という観点から見てどうだったのだろう。 自分のことで言うならば、これまで生きてきて人を傷つけ、裏切り、利用してきたことは数知れず。その時点ではそうと気づかなかった。
いやうっすら気づいてはいたが「自分なりの正義」のためにはやむなしと思っていた。でもそんなものは単なる言い訳ということが今になって分かる。で、分かって良かったと思うのである。
なぜって、やってしまったことは消せないが、残りの人生は少しでもそれを償う生き方をしたいと思うのだ。そのことが自分が生きる大きな動機となっているのである。 稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行 ※AERA 2024年2月12日号
稲垣えみ子