西田敏行さん(2015年、写真・梅基展央)
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あにさん(西田さん)と会ったのは、僕が初めてドラマに出演をしたときでした。40年前のTBSのドラマ『淋しいのはお前だけじゃない』(1982年)のときで、その当時、話題になっていたサラ金(消費者金融)と大衆演劇をモチーフにした作品でした。
そんな僕が準主役、そして木の実ナナさんの相手役に抜擢されたのですから、その当時、もう大スターだったあにさんと気軽に口が利けるなんて思ってもいませんでした。
■忘れられない現場での心配り
自分には舞台役者としての自信はありましたが、テレビはまったく初めての世界。ましてや、いきなり抜擢された新人です。おとなしくしていようと思っていたところ、西田さんのほうから「西田敏行です。よろしくお願いします」と声をかけてくれたんです。そして、撮影が始まるとスタッフを集めてこう言ってくれました。
「梅沢くんはドラマが初めてだから、テレビ用語はなるべく使わないでおこうよ」
僕が「そこ梅沢さんナメで行きます」(梅沢さん越しに撮ります)とか、「その椅子わらって」(その椅子どかして)という業界用語がわからず、おろおろしていたのを察してくださったんでしょう。本当にありがたかった。
あにさんとは、お互いの出番が終わっても、相手が終わるのを待って、毎日のように飲みに行きました。また次の日に会えるのに、別れがたくて、飲んだあと、建て直す前のTBSの鉄塔の下で朝まで話をして、そのまま撮影なんてこともしょっちゅうでした。
大先輩なのに偉ぶることもなく、「とみおちゃん、とみおちゃん」とかわいがってくれて。僕がやっている大衆演劇の舞台に出てくれたこともあります。ドラマには劇中劇があるんですが、あにさんのメイクは全部僕がやっているんですよ。なかなかいい男に仕上がってるでしょう(笑)。
■「アドリブがひどい」の真相
よく、あにさんは「アドリブがひどくて現場が困った」なんて話が出るじゃないですか。あれは間違いです。あにさんのアドリブについていける役者がその場にいないってことですよ。
あにさんは、話の流れをよく見ていて、“ここはこうしたほうがいいかな” といつも考えている人でした。あるときは、OKが出たシーンで「納得がいかないから、もう一度やらせてほしい」と監督に直談判して撮りなおしたことがありました。撮り直すと、たしかによくなっているんです。
あとで「つきあわせて悪かったね。NGってよくないと思うだろうけど、『いいNG』は作品がよくなるから、出したほうがいいと思うんだ」と言っていました。
おかげさまでドラマは大きな賞もいただいて、とても活躍しているタレントさんやお笑いの方から、いまでも「あのドラマを見てこの世界を目指しました」と言ってくださることがたくさんあります。やはり、西田さんの功績だと思います。
ドラマが終わってからは、お互い忙しくなってしまって、何年かに1回しか会えなくなってしまいましたが、会うと変わらず「とみおちゃん、とみおちゃん」と声をかけてくれました。
■最後に飲んだ日の思い出
最後に一緒に飲んだのは7~8年前でしたか、福島でのイベントに出ていたとき、あにさんに誘ってもらって一緒に飲みに行って。楽しかったなぁ。
兄さんは特技があって、歌を作るのがうまいんですよ。お店の名前や女の子の名前を入れ込んでジャズだったりバラードだったり、即興で歌うんです。まわりのお客さんも大盛り上がりで、その日は東京に帰る予定だったのを、あにさんが押さえてくれたホテルに泊まることにし、飲み明かしました。
その後、福島を舞台にした映画のお話があって、「西田さんが出るなら喜んで」とお受けしたのですが、コロナ禍で延び延びになってしまった。そのうち、あにさんの具合があまりよくないとのことで、久々の共演はかないませんでした。
いつもテレビであにさんの姿を見たり、ナレーションを聞いたりして、“また会いたいなぁ” と思っていたある日、夢にあにさんが出てきて「とみおちゃん、いま足がよくなくてさ。でも、また今度みんなで飲もうや」と言ってくれました。
2日後、妻にその話をしていたところ、入ってきたのがあにさんの訃報でした。妻は「最後に会いにきてくれたんじゃない」と言ってくれましたが、実際に最後にもう一度、会いたかった。
コミカルな役からシリアスな役まで、貧乏人から金持ちまで、時代劇からミュージカルまで、なんでもできる稀有な役者だったあにさん。なかでも、コミカルななかに人情味あふれる役をやらせたら、右に出る人はいないんじゃないかな。
僕は冗談で「俺は300年に1人の役者だ」なんて言っていますが、西田敏行こそ、本当の「300年に1人の役者」だと思います。