「今日の聞き手は明日の語り手」亡くなる1か月前まで講演活動続けた被爆者の男性が遺した言葉 ノーベル平和賞に日本被団協・県内関係者も喜びと決意(2024年10月14日『SBC信越放送』)

「今日の聞き手は明日の語り手」亡くなる1か月前まで講演活動続けた被爆者の男性が遺した言葉 ノーベル平和賞日本被団協・県内関係者も喜びと決意(2024年10月14日『SBC信越放送』)
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24歳で広島で被爆し、2009年に亡くなった前座良明さん。慢性的な倦怠感など原爆の後遺症に苦しみながらも、88歳で亡くなる1か月前まで講演活動などを続けた。
今年のノーベル平和賞に、被爆者の立場から核兵器の廃絶を訴えてきた日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会が選ばれたことを受けて、長野県内の関係者からも喜びや決意の声が聞かれています。
今井和子さん:
「今回のことでもっと関心をもって見られる考えられる、世界できっかけになっていくのではないかと思っています」
長野市の今井和子さん(84)は、4歳の時、広島で被爆しました。受賞は、被爆者のこれまでの活動が認められたということに留まらない、意味があると語ります。
今井和子さん:
核兵器が使われるかもしれないという気持ちは今、誰もが持っていると思うんですよ。ウクライナでも、ガザでも。それへの釘を刺してもらったっていう感じがあります。警告というか一度踏みとどまって、そのことをしっかりと考える時を与えられたという感じです」
今井さんは、悲惨な経験を伝え続ける思いを強くしています。
今井和子さん:
「二度と起こらないために伝えなくちゃいけない。励ましを与えられたということは大きいですね、引き継ぐことに対して」
前座明司さん:
「長野県内のこれまで頑張ってこられた被爆者さんの顔がぱっと浮かんできましたね」
長野県内の原爆被害者の会「長友会」の副会長を務める前座明司さん(76)は「被爆2世」です。
県内の活動を牽引してきたのが、24歳で広島で被爆し、2009年に亡くなった父の良明さん。慢性的な倦怠感など原爆の後遺症に苦しみながらも、88歳で亡くなる1か月前まで講演活動などを続けました。
前座明司さん:
「父のことだからおそらくね、『これから、これから』って言うと思うよ、もう常に前向いてたから。だから私もそう思うけども、ノーベル平和賞っていうのは目標にしてたわけじゃないから、それをもらうために運動してきたわけじゃないから、一つのやっぱり認められた通過点みたいな感じでね」
父・良明さんが生前大切にしていたことば=「今日の聞き手は明日の語り手」。
被爆者の思いや経験を後世にどうつないでいくのか、前座さんは、考え続けています。
前座明司さん:
「被団協の活動は自分たちが味わった悲惨な目に、子や孫、そして世界の市民を遭わせたくない。その一念で始まってるんですよ。本当に被爆者の気持ちだとか思いをわかってくださる人たちと連携しながら、次を考えていかなければいけないなと」