死者58人、行方不明者5人を出した2014年9月の御嶽山(長野、岐阜県境、3067メートル)の噴火災害から27日で10年を迎える。発生翌日から救助にあたった東京消防庁ハイパーレスキュー隊の糸魚川(いといがわ)辰男さん(48)は「かつてない厳しい現場だった。あらゆる災害に備える必要をあらためて感じた」と振り返る。
◆命を救うため、3時間かかる道のりを2時間弱で
「遠くからも見える噴煙は不気味だった」。長野県に入り、麓に向かう車窓から見た景色を今も覚えている。昼のニュースで噴火を知ると、命令が出る前から出動に備えて火山ガスの対策や装備を確認した。一睡もしないまま、翌28日朝には、同じ部隊の隊員20人で現地に入った。
「要救助者がいる」との情報があった王滝頂上山荘を徒歩で目指した。20キロほどもある荷物を背負い、ガスや足元を気にしながらの登山。降り積もる火山灰が次第に厚くなり、酸素が薄くなるのも感じた。それでも「ゆっくり進んでいられない。救助のため鍛えてきた」との思いで、通常なら3時間かかる道のりを1時間50分で登った。
◆噴石を体に受け「痛い、痛い」と言う登山者たち
山荘は灰を被り、噴石が刺さっていた。「消防到着しました。誰かいますか」引き戸を開けて声を上げたが応答はない。奥に歩を進めると、布団で休む登山者らの姿があった。糸魚川さんらの姿を見ると「この先の尾根にまだ人がいる」と何とか告げ、寝込んでしまった男性もいた。
噴石を体に受け「痛い、痛い」と言いながら、申し訳なさそうにする登山者たちに糸魚川さんは水を飲ませ「もう大丈夫です」と声を掛け続けた。
隊員らにも危険回避のため下山命令が出たため、山荘にいた7人を布団にくるんで担架に乗せ、合流した別の救助隊とともに撤収した。最後に建物の周囲に救助を待つ人がいないかを確認すると、遠くにあったはずの噴火口が目の前に迫っていた。
御嶽山で要救助者を搬送する東京消防庁のハイパーレスキュー隊員ら=東京消防庁提供