噴火翌日の御嶽山に登った10年前…山荘には噴石が刺さっていた 東京消防庁ハイパーレスキュー隊員の記憶(2024年9月25日『東京新聞』)

 
 死者58人、行方不明者5人を出した2014年9月の御嶽山(長野、岐阜県境、3067メートル)の噴火災害から27日で10年を迎える。発生翌日から救助にあたった東京消防庁ハイパーレスキュー隊糸魚川(いといがわ)辰男さん(48)は「かつてない厳しい現場だった。あらゆる災害に備える必要をあらためて感じた」と振り返る。

◆命を救うため、3時間かかる道のりを2時間弱で

火山災害で使うマスクなどを前に御嶽山での救助活動を振り返る糸魚川さん=東京都八王子市で

火山災害で使うマスクなどを前に御嶽山での救助活動を振り返る糸魚川さん=東京都八王子市で

 「遠くからも見える噴煙は不気味だった」。長野県に入り、麓に向かう車窓から見た景色を今も覚えている。昼のニュースで噴火を知ると、命令が出る前から出動に備えて火山ガスの対策や装備を確認した。一睡もしないまま、翌28日朝には、同じ部隊の隊員20人で現地に入った。
 「要救助者がいる」との情報があった王滝頂上山荘を徒歩で目指した。20キロほどもある荷物を背負い、ガスや足元を気にしながらの登山。降り積もる火山灰が次第に厚くなり、酸素が薄くなるのも感じた。それでも「ゆっくり進んでいられない。救助のため鍛えてきた」との思いで、通常なら3時間かかる道のりを1時間50分で登った。

◆噴石を体に受け「痛い、痛い」と言う登山者たち

 山荘は灰を被り、噴石が刺さっていた。「消防到着しました。誰かいますか」引き戸を開けて声を上げたが応答はない。奥に歩を進めると、布団で休む登山者らの姿があった。糸魚川さんらの姿を見ると「この先の尾根にまだ人がいる」と何とか告げ、寝込んでしまった男性もいた。
 噴石を体に受け「痛い、痛い」と言いながら、申し訳なさそうにする登山者たちに糸魚川さんは水を飲ませ「もう大丈夫です」と声を掛け続けた。
 隊員らにも危険回避のため下山命令が出たため、山荘にいた7人を布団にくるんで担架に乗せ、合流した別の救助隊とともに撤収した。最後に建物の周囲に救助を待つ人がいないかを確認すると、遠くにあったはずの噴火口が目の前に迫っていた。
御嶽山で要救助者を搬送する東京消防庁のハイパーレスキュー隊員ら=東京消防庁提供

御嶽山で要救助者を搬送する東京消防庁ハイパーレスキュー隊員ら=東京消防庁提供

 戦後最悪となった火山災害で3日間救助に従事した糸魚川さん。能登半島地震の被災地にも派遣された。「1人の人間としても災害対策は大切と感じる。首都直下型地震などの大災害が危惧される中、日ごろからの備えをしてほしい」と力を込めた。(鈴鹿雄大