パラアスリートが世界を変える(2024年9月10日『NHKニュース』)

「きょうもパラアスリートが何を達成できるか示せた。今苦しんでいる人にメッセージを送りたい。『あなたを小さく見ようとする人を信じるな』『あなたは小さくない』」

パリパラリンピック、陸上の男子走り幅跳びで4連覇を果たしたドイツのマルクス・レーム選手は、圧倒的なジャンプでパラアスリートの可能性を改めて世界に示しました。

限界に挑戦するパラアスリートたち。その姿とことばが、少しずつ世界を変えようとしています。
(パリパラリンピック取材班)

2大会ぶりの有観客 熱気に包まれたパリ

フランス、パリで開かれた初めてのパラリンピック
そのチケット販売数は250万枚以上に上り、最も成功したとも言われるロンドンパラリンピックに次いで過去2番目に多くなりました。

原則、無観客だった3年前の東京パラリンピックから一転、競技場は観客で埋まり、若い世代が多く足を運びました。
陸上競技が行われたフランス最大のスタジアム「スタッド・ド・フランス」は、連日揺れるほどの声援で熱気に包まれました。

選手自身も声援の後押しを強く感じているようでした。
陸上・石山大輝 選手
「本当にお客さんが多く、こんなのは初めて。またすぐに4年後が来ないかなと思うくらい楽しかった」
車いすラグビー・池透暢 選手
「多くの声援が東京パラリンピックで得られなかった興奮をこの会場で得られ、幸せ」
柔道・半谷静香 選手
「声が私の背中を押してくれた」

語ることばの強さ 特別な思いを胸に

特別な思いを胸に臨んだ選手の姿もありました。

勝敗を競うだけではなく、出場する意味を語ることばに強さがありました。
その1人が、イスラエル軍の攻撃が続くパレスチナガザ地区出身で陸上男子砲丸投げ車いすのクラスのファディ ジェイ エス・アルディーブ選手です。たった1人のパレスチナ代表として出場しました。
アルディーブ選手は23年前、イスラエル軍の銃撃を受け、車いすの生活となりました。そして、イスラエルイスラム組織ハマスとの間で続く戦闘で去年12月、家を破壊され、弟のアラーさんなど親族17人を失いました。

この経験をきっかけに、みずからが競技を続ける意味を問い直すようになったアルディーブ選手。パラリンピックで平和への願いを込め、祖国の現状を訴えました。
ファディ ジェイ エス・アルディーブ 選手
パレスチナ代表としてパラリンピックに参加するのが自分だけなのはつらい。私がここでパレスチナの旗を掲げれば、たとえ私が1人であってもガザには多くの人々が生きていることを伝えられると思う」
アフガニスタン出身のテコンドーの女子47キロ級、ザキア・フダダディ選手も祖国の女性たちを勇気づけたいと臨んだ1人です。
生まれたときから左腕に障害があるフダダディ選手。タリバンの暫定政権によって女性の教育やスポーツの参加が厳しく制限され、国内で競技を続けることができなくなって国外へ退避しました。

フダダディ選手は難民選手団として、初めてのメダルとなる銅メダルを獲得。その試合の直後、こう訴えました。
ザキア・フダダディ 選手
「すべての女性のためにベストを尽くしました。世界の皆さん、どうかお願いです、アフガニスタンの女性を忘れないでください。私は祖国の女性やパリにいるすべての難民の味方です」
トランスジェンダーであることを公表し、イタリア代表として初出場したのは、バレンティナ・ペトリッロ選手です。

陸上の女子200メートルと400メートルの視覚障害のクラスに出場し、世界各国のメディアから取材が相次ぐなか、一つ一つ丁寧に応じていました。
バレンティナ・ペトリッロ 選手
トランスジェンダーに対する偏見や否定的な考えがつきまとっているのは間違ったことです。男性として生まれたことが差別の理由となるべきではありません。私たちはみんなと同じ権利を持つべきです」

パラリンピックで広がる 障害ある人にスポーツを

パラリンピックをきっかけに、障害のある人がスポーツに取り組みやすい環境を整えようという動きもパリで広がり始めています。
パリ市内にあるボクシング専門のスポーツ施設では、一般の利用者と一緒に障害のある人も利用しています。もとは一般の利用者向けのスポーツ施設でしたが、今では障害のあるなしに関係なく、一緒に汗を流しています。

障害のある利用者の数は、およそ1000人を超えました。
このスポーツ施設が参加したのは、パリ市が中心となって運営する、障害のある人たちのスポーツを振興するネットワークです。参加すると、専門的な知識を持つ講師から障害のある人の指導に必要な知識を学べる研修を受けることができます。

さらに、施設で培われたノウハウが共有され、どの施設でも質の高い指導を提供できるといいます。今ではパリ市内の200以上の施設がこのネットワークに参加し、広がりを見せています。

相次いだ日本勢初の金メダル 選手発掘の課題も

日本からは海外で開催されたパラリンピックでは史上最多となる175人の選手が出場しました。
バドミントン女子シングルス 里見紗李奈選手が2大会連続 金メダル
日本が獲得した金メダルの数は、前回の東京大会を1つ上回る14個に上りました。

日本選手団は過去最多のメダルを獲得したアテネ大会を上回る53個以上を目標としていましたが、獲得したメダルの総数は41個でした。
▽金メダル 14個
▽銀メダル 10個
▽銅メダル 17個 計:41個
パリ大会は日本勢初となるメダルが相次ぎました。
上地結衣選手は女子シングルスで初の金メダル、そしてダブルスとの2冠を達成。
男子シングルスでは18歳の小田凱人選手が金メダルに輝き、車いすテニスでは金メダル3個を含む、4個のメダルを獲得。日本の強さを示しました。
卓球シングルスではパラリンピック卓球シングルスで日本選手初の金メダル。

そして、柔道でも日本の女子柔道初の金メダルを獲得しました。
ゴールボール男子もこの種目初めての金メダルでした。世界選手権やパラリンピックで敗退することが多かったことから「もう負けたくない」と語った選手の姿が印象的でした。
日本選手団の田口亜希団長は記者会見で、選手強化の成果を強調した一方で、新たな選手の発掘には課題があるという認識を示しています。
このうち、車いすラグビーは日本代表の12人のうち、11人が東京大会に出場し、新たな選手の発掘が十分とは言えない現状があるといいます。

それでも、3大会連続で破れなかった準決勝の壁を越え、決勝でアメリカを破って初めての金メダルを獲得し、岸光太郎ヘッドコーチは、今後への期待をにじませました。
車いすラグビー 岸光太郎ヘッドコーチ
「4年後のロサンゼルス大会に向けてライバルも強くなるし、われわれも育成という部分で課題を抱えている。金メダルを取った姿を見て興味を持った人がプレーしてくれれば」

パリパラリンピックがもたらしたものは

史上最多となる168の国と地域、それに難民選手団のおよそ4400人の選手が参加したパリパラリンピック

大会は何をもたらしたのか。
そのヒントになったのは、競技場を訪れた人たちのことばです。

チケットを購入した人の9割以上がフランス出身で、その半数はパラリンピックを初めて観戦した人たちでした。
「障害のある人への見方が変わった。ハンディキャップがあっても自分の能力を超えることができるとわかった」
「たとえ人と違っても、たとえ悲劇的な事故にあったとしても、人生最後まで再び立ち上がることができるというモチベーションを与えてくれた」
障害と向き合い、工夫と努力を重ねて挑戦する選手たちの姿から共感や感動だけでなく、新たな気付きを得たという声を多く聞くことができました。

こうした声を開催地で聞くことができたのは、これまで3年間、選手たちの取材を続けてきた私たちにとってもうれしいものでした。
限界に挑む選手たちの姿を通して1人でも多くの人が何かを感じ、何かを変えて、障害のあるなしに関わらず、みんなが暮らしやすい世の中になるように。

東京のレガシーがパリに引き継がれ、4年後のロサンゼルス大会でさらに広がるよう、私たちも取材を続けていきたいと思います。
スポーツニュース部 記者
沼田 悠里
2012年入局 2018年から現所属
体操やスキーなどの競技取材に加えパラリンピックの陸上などを担当
ジェンダーや環境など社会的な視点でもスポーツを取材
スポーツニュース部 記者
持井 俊哉
2014年入局 北九州局を経て2020年から現所属
大相撲担当をした後 レスリングとパラリンピックの競泳などを担当
剣道五段
スポーツニュース部 記者
足立 隆門
2013年入局 スポーツニュース部でボクシングなどの格闘技を担当
パリパラリンピックでは車いすラグビーや柔道などを担当
スポーツニュース部 記者
阿久根 駿介
2013年入局 プロ野球担当を経て格闘技を担当
パリパラリンピック車いすバドミントンやゴールボールを担当