カナダ中部のウィニペグに生まれたダンカン・キャンベルさんは…(2024年9月4日『毎日新聞』-「余録」)

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車いすラグビーの決勝後、両手を握って健闘をたたえあう池透暢選手(左)と米国のシャルル・アオキ選手=パリで2日、AP
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車いすラグビーで初の優勝を果たし、金メダルをかけて喜ぶ倉橋香衣選手(左)=パリで2日、AP
 カナダ中部のウィニペグに生まれたダンカン・キャンベルさんは17歳の時、飛び込み事故で胸から下がまひした。2年後の1976年2月、車いすで体育館に集まった仲間4人とバレーボールをゴミ箱に投げ込むゲームを始めた。ボランティアの到着が遅れたためだ
▲全員が四肢に障害を持ち、なかなか箱に入らない。試行錯誤するうち、ボールを持ったままコートの端のラインを超えれば得点というルールを思いついた。「車いすラグビーの父」が明かす誕生秘話だ
車いすが激しくぶつかり合う新競技は急速に普及した。2000年シドニーパラリンピックで正式競技に。05年には初期の名称の「マーダーボール」(殺人球技)をタイトルにした米ドキュメンタリー映画アカデミー賞にノミネートされた▲初出場した04年のアテネで全敗に終わった日本がパリで米国を破り、初の金メダルに輝いた。99年に競技を始めた6大会連続出場のレジェンド、島川慎一選手はSNSに「今の日本チームは史上最強」と記した
▲障害の程度で選手をクラス分けし、メンバー全体で公平になる仕組み。女性も出場可能でパリでも倉橋香衣(くらはし・かえ)選手が東京に続いて活躍した。身体接触が激しく格闘技のようだが、多様性に富んで選手の年齢層も幅広い
▲名はラグビーでも障害者自ら生んだ競技。「このゲームを存続させ、成長させてくれている一人一人に感謝したい」。普及にも尽力し、競技団体から初の殿堂入りの栄誉を受けたキャンベルさんの言葉である。