戦国武将の書簡にも登場 成田空港拡張で消える古村の風景(2024年8月30日『毎日新聞』)

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成田空港の拡張予定地内にあり、移転予定の先祖代々の墓の前で、家の歴史について語る小川総夫さん=千葉県芝山町で2024年8月12日午後2時28分、小林多美子撮影
 12日、千葉県芝山町の「しばやま郷土史研究会」副会長の小川総夫さん(67)はお盆を前に、同町菱田にある墓地の掃除に訪れた。小川さんは成田空港の拡張予定地の同町菱田の中郷地区で、江戸時代初期から続く小川家の14代目で、墓には代々の当主らが眠る。墓地も予定地内にあり、町内の別の場所に移す予定だ。
 「『(肉体の死と、その人を記憶する人がいなくなった時と)人は2度死ぬ』という言葉があるが、菱田の歴史や風景も忘れ去られてしまえば、本当になくなってしまう」
 小川さんが空港拡張に伴い移転するのは2度目だ。B滑走路新設の際、騒音による移転対象となり、1994年に約1・5キロ離れた場所に移った。その時、曽祖父の代に建てられ、築100年を超える家屋も移築した。
 小川さん自身は今年1月、印西市へ転出した。老後を考え、交通の便の良い地域で暮らすことを選んだ。だが歴史のある家屋を壊すことは忍びなく、活用してくれる人を探している。「北総地域資料・文化財保全ネットワーク」の家屋調査に協力し、記録を残してもらう予定だ。
 小川さんは2017年の郷土史研究会発足時からのメンバーだ。参加以前から、戦国時代に芝山町のあたりを治めていた山室氏の興亡を描いた軍記物語「山室譜伝記(やまむろふでんき)」を読んでいた。山室氏は豊臣秀吉方の勢力によって滅ぼされ、一族は飯櫃(いびつ)城(同町飯櫃)から菱田村(現・同町菱田)に落ち延びたと伝わる。菱田村は戦国武将の書簡にも出てくることを知り、歴史的にも重要な場所だったことに驚いた。だが、その多くは空港拡張予定地に含まれ、長い歴史を持つ古村の大部分は更地となり、風景の全てが消える。
 小川家は代々、菱田村の名主や組頭を務め、村の運営に関わる古文書が多く伝わる。父・総一郎さんが町に寄託し「小川総一郎家文書」としてまとめられている。今回の移転を前に改めて旧宅に残る文書を整理したところ、父親が寄託した文書よりもさらに古い1653年までさかのぼる古文書などが新たに見つかった。自身は町を離れたが、今後も郷土史研究会に参加し、菱田の歴史を研究し続けると決めている。
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 郷土史研究会の会員で中郷地区の役員も務める石毛博道さん(75)は今年6月、中郷公民館に保管されている地区の記録などの書類や民俗道具を調べた。安産祈願や子育ての無事を祈る民俗行事「子安講」で使われた木製のほこらの扉を開けると、「疱瘡(ほうそう)守護神奉謝」などと書かれた昭和初期の奉納の書が何枚も入っていた。
 疱瘡はかつて不治の病とされた天然痘のことだ。神事の際に供える、赤く染められた幣束(へいそく)もほこらに収められていた。赤色は疫病や魔よけに効果があると信じられてきた。石毛さんは「昔の人は疱瘡を本当に恐れていたんだな」と先人たちの信心に思いをはせた。
 石毛さんは来年にも、町内に宅地造成中の集団移転先に移る。今回は戸別の移転が主だが、空港拡張予定地の中郷、中谷津、菱田東の3地区の住民の一部で新たな地区をつくる。大工が本職の石毛さんは移転先に新築される公民館の設計図を描いた。その中に3地区の歴史資料を保管するための資料室を加えた。子安講のほこらなども収めるつもりだ。【小林多美子】

成田拡張で郷土史料散逸に危機感 研究者ら、継承のための団体設立(2024年8月30日『毎日新聞』)
 

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菱田東区公会堂で、子安観音が描かれた掛け軸などを調べる北総ネットのメンバーら=千葉県芝山町で2024年7月29日午後2時58分、小林多美子撮影

 消えゆく集落には、先人たちのどんな記憶が刻まれているのか――。歴史や建築の専門家らが7月下旬、千葉県芝山町の加茂、菱田東、中郷、中谷津の4地区を巡った。成田空港C滑走路(3500メートル)の新設などの拡張予定地となる地区だ。

 メンバーは千葉大などの研究者らでつくる「北総地域資料・文化財保全ネットワーク(北総ネット)」と町教委の職員ら約10人。地区内にある公民館や寺院を訪ね、石塔や地域資料などを調べた。

 北総ネットは、空港拡張に伴う住民の移転や建物の撤去に伴う歴史資料の消失や散逸を防ごうと、今年5月に設立された。地元の「しばやま郷土史研究会」や町教委と連携し、資料の所在確認や記録などを進めている。

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 各地区では、新年に豊作を占う行事「オビシャ」や、子授けや安産の神「子安神」を祭る子安講などが行われてきた。公民館にはオビシャで使う道具や子安観音の掛け軸、「奉納 子安大神」などと書かれたのぼり旗などが保管されていた。

 また、地区の会計簿や神社の氏子組織の出納帳、農家で共有していたトラクターの利用記録も確認され、戦前の資料も残されていた。

 加茂地区の普賢院、菱田東地区の薬王院も訪ねた。普賢院の境内には樹齢300年とされ、町の天然記念物に指定されているマキの木がそびえ立つ。本堂の正面には竜などの彫刻が施され、メンバーからは「取り外せるなら3Dスキャン(三次元計測)で記録できるかもしれない」との声も上がった。

 9月上旬に数日をかけて、4地区の本格的な調査に入る予定だ。

地域資料「価値の重要さ」気づき

 北総ネットの設立を呼びかけたのは、同町岩山出身で長野大教授の相川陽一さん(46)。改めて4地区を訪ね、「貴重な資料が公民館にこんなに残されているとは思わなかった。一方で、住民の移転や家屋の解体のスピードは想像以上に速い。建築物の記録を急がなくては」と話す。

 相川教授は近現代史を専攻し、成田空港問題について研究。大学生・院生の頃から反対運動に関わった人らの聞き取りをしてきた。

 C滑走路新設などの空港拡張は2018年、国、県、地元9市町、成田国際空港会社による四者協議で合意された。その後、コロナ禍があり、相川教授はなかなか帰郷できずにいたが、その間も動きは着々と進んでいた。

 23年秋に知人から住民の移転が既に始まっていると聞かされた。24年3月、町教委で現状を聞いて、保存が必要な文化財や地域資料の「量の膨大さ」と「価値の重要さ」に気付かされた。「研究者として地域の歴史の保存と記録に取り組まなくては」と思い、町教委と郷土史研究会に協力を申し出た。

 拡張予定地に含まれるのは4地区の計約130戸。町内では02年に運用が始まったB滑走路の騒音対策でも住民の移転があったが、当時は集落ごとの集団移転が主で、住民同士のつながりは維持された。だが、今回は戸別の移転を選ぶ世帯が主で、コミュニティーがばらばらになってしまうケースが多い。

 相川教授は「芝山で今起きていることは、数百年にわたってさまざまな歴史を乗り越えてきた日本の村落が解体していく兆しを示すものではないか」と話し、危機感を募らせる。

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 地域の世代交代や古民家の解体などで、古文書や民俗道具など地域の歴史資料の消失が郷土史研究の課題になっている。成田空港の拡張工事が進む芝山町で、郷土の歴史を紡ごうとする人々の姿を紹介する。【小林多美子】