危機の世界遺産 戦火から貴重な文化財を守れ(2024年8月21日『読売新聞』-「社説」)

 中東や欧州の戦乱では人命が奪われているだけではない。貴重な文化財も破壊されつつある。
 歴史を今に伝える建物や芸術品を後世に受け継ぐため、国際的な取り組みを強化すべきだ。
 パレスチナ自治区ガザにある遺跡「テル・ウム・アメル」について、国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)は7月、世界遺産に登録した。同時に、戦乱や災害によって貴重な価値が失われかねない「危機遺産」に指定した。
 ローマ帝国時代を起源とするこの遺跡は、アジアとアフリカを結ぶ交易路に位置し、キリスト教修道院などがある。保存活動が行われていたが、イスラエル軍イスラム主義組織ハマスの戦闘で周辺が爆撃され、中断している。
 危機遺産への指定は、国際社会の関心を高め、保存・修復のための資金や技術の提供を幅広く呼びかける狙いがある。
 危機遺産の指定とは別に、「ハーグ条約」(1954年採択)は、戦時における文化財の保護を締約国に義務づけている。イスラエルも条約を批准している。
 にもかかわらず、イスラエルハマスの越境攻撃に対し、自衛の範囲を超えた猛攻を仕掛け、文化財を危機に陥れている。死者も4万人を上回る。看過できない。
 世界遺産1223件のうち、56件が危機遺産に指定され、その約3分の1が中東に集中する。不安定な情勢の反映と言える。
 ロシアの侵略を受けるウクライナでも、昨年、3件の世界遺産危機遺産に指定された。
 このうち首都キーウの聖ソフィア聖堂は、今日のウクライナやロシアにキリスト教を広めた原点であり、精神的な支柱とされる。
 ロシアは、聖ソフィア聖堂がそびえるキーウ中心部や、同じく世界遺産に登録されている南部オデーサ歴史地区に、繰り返し攻撃を加えている。
 ウクライナをロシアの一部とみなすプーチン大統領が、ウクライナの独自の文化やアイデンティティーを否定するため、あえて攻撃対象にしているのは明らかだ。人類が共有すべき歴史や文化に対する 冒涜ぼうとく である。
 日本は第2次世界大戦で、名古屋城天守閣や首里城などの文化財を失った。戦後、日本の専門家は、カンボジアのアンコール遺跡群などの文化財の保存、修復を支援してきた。
 一日も早く戦乱に終止符を打ち、日本の知見や技術を中東や欧州でも生かしたい。