終戦から79年となる15日、およそ310万人の戦没者を追悼し、平和を祈念する催しが、全国各地で開かれます。
【ライブ配信中】
このうち東京 千代田区の日本武道館では政府主催の全国戦没者追悼式が開かれ、戦争で亡くなった人の遺族など、およそ4300人が参列する予定です。
追悼式では正午に全員で黙とうをささげたあと、天皇陛下がおことばを述べられます。
そして参列者が式壇に菊の花を手向けて、およそ310万人の戦没者を追悼します。
厚生労働省によりますと、ことしは新型コロナウイルスの感染拡大以降、最も多くの遺族が参加し、5年ぶりにすべての都道府県から遺族が参列する予定です。
一方で遺族の高齢化が進み、参列を予定している遺族のうち、およそ75%は70歳以上となっています。
このうち最年長の97歳の男性は26歳で戦病死した兄を追悼するため北海道から参列します。
一方、戦争を直接知る世代が少なくなる中、その記憶を受け継ごうと、全国から18歳未満の若い世代の遺族も、合わせて64人が式典に参列する予定です。
式典の様子はYouTubeでも同時配信されます。
8月15日は、このほかにも遺族の団体や自治体が式典を開くなど、戦没者を悼み、平和を祈る集会や催しが全国各地で開かれます。
最年長97歳の遺族「平和の実現に力を」
最年長の参列者として追悼式に出席した北海道に住む97歳の長屋昭次さんは、戦争で8歳年上の兄の保さんを亡くしました。保さんは昭和20年に肺結核のため出征先の中国・天津で戦病死しました。
長屋さんは「兄は体が弱く、これほど体の細い兄が兵隊として行かなければならないことを知った時には子ども心にかわいそうだなと思いました。
兄は私たち兄弟の面倒をよく見てくれていたので感謝の気持ちは今も忘れません。
ことしで97歳になり、歩くのもやっとのような状態ですが、兄や戦争で亡くなった先輩たちを慰霊することが生き残った私の使命だと思い、生きている限り、何とか追悼式には参加したいと思います」と話していました。
また、いまも世界で争いが続いている現状について「私は空襲を受けたときの爆音など、あの怖さを忘れることができません。ただ、いまは戦争の怖さを知らない人たちが多いです。戦争は絶対にやってはいけないし、世の中が落ち着いてほしいと思っています。来年は戦後80年ですが、政治家には戦争の方には決して向かわず、平和の実現に力を入れてほしい」と話していました。
追悼式には若い世代も参列
追悼式には戦争の体験を直接知らない18歳未満の若い世代も遺族として参列しています。
堤さんは「ひいおじいさんはシベリアの寒いところで働かされて病気になり、朝鮮半島に連れていかれ、栄養失調で亡くなったと聞きました。苦しかったと思うので、きょうはここで、戦争で亡くなった人の気持ちを考えたい」と話していました。
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