渋谷にARのキノコ雲、ウクライナ戦地を3D化 戦争をデジタルで伝える人たち #戦争の記憶(2024年8月10日『Yahooニュース』)

Yahoo!ニュース オリジナル 特集

来年で終戦から80年。次第に先の大戦の経験者が少なくなるなか、戦争の伝え方をデジタルでアップデートしようと試みる人たちがいる。白黒写真のカラー化、原爆被害のデジタルアーカイブ化などに取り組んできたのは東京大学大学院の渡邉英徳教授だ。デジタル化によりアクセスしやすくすることで、戦争を身近に感じさせるとともに、新たな世代に受け継いでいくことができるという。渡邉教授や、報道や平和活動でデジタル化に取り組む人たちを取材した。(文・写真:科学ライター・荒舩良孝/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)

渋谷駅前に立ち上がるAR「キノコ雲」

7月25日、炎天下の東京・渋谷。駅前のスクランブル交差点の前で、数人の若者が手に持ったスマートフォンをかざしていた。その画面を覗くと、スクランブル交差点の先にあるビルの背後から、原爆のような「キノコ雲」が立ち上がった。若者らは真剣な表情で画面を見つめていた。 「これは渋谷から1.5kmほど離れた代々木八幡あたりに、広島型原子爆弾が投下されたときに発生するキノコ雲です。AR(拡張現実)技術を使ってシミュレーションしています」 こう説明するのは、ARコンテンツを制作した任意団体「KNOW NUKES TOKYO」の代表を務める中村涼香さん(24)だ。 長崎県長崎市に生まれ育った中村さんは、大学3年生だった2021年5月に、核兵器廃絶に向けて活動するKNOW NUKES TOKYOを立ち上げた。

今回の企画は、ウクライナ侵攻をするロシアが核攻撃を示唆したこともあり、できるだけ身近な形で核兵器の脅威をたくさんの人たちに伝えたいという想いから始まった。仲間と企画案を話し合ううち、中村さんの頭に浮かんだのが東京大学大学院情報学環教授の渡邉英徳さん(49)だった。 2010年、渡邉さんは長崎に原爆が投下された際の被害について、証言した被害者のいた場所や写真の撮影された場所を地図上に示し、原爆被害の実態を可視化する作品「ナガサキアーカイブ」(アーカイブは保存記録の意)を制作していた。 「私は高校生の頃、ナガサキアーカイブを使って長崎に修学旅行に来た人たちを案内する活動をしていました。その経験があったので、渡邉さんに協力を仰げないかと思ったのです」 連絡を取ると、渡邉さんからすぐに返信があり、2023年暮れには監修として協力を得られることになった。企画案を練った結果、原爆の象徴的な存在、キノコ雲をスマホのAR空間上で渋谷の街に出現させるという案にまとまった。 「キノコ雲を描くことについては長い時間をかけて話し合いました。長崎大学の先生や長崎原爆資料館の人たちにも意見を伺い、最終的に、きちんとメッセージ性があって、フェイクニュースなどに利用されないように対策をとれば大丈夫だろうという結論となり、制作にとりかかりました」

AR作品はアプリを通して今年8月1日から9月30日まで公開しているが、どんな反応があるかドキドキしていると中村さんは語る。 「キノコ雲という核兵器を象徴するモチーフを使って表現するにあたり、渡邉先生にいろいろと相談に乗っていただき心強かったです。表現はまだ完璧ではないので、公開後にいただいた意見も参考にしてアップデートしていきたいです」 中村さんたちのほかにも、戦前戦後の写真をデジタル技術でカラー化したり、ネット上のマップに配置したりして、新たな表現方法で戦争の記憶を未来につなげようとしている人たちがいる。その中心にいるのが、渡邉さんだ。

白黒の戦争写真をカラー化でリアルに

東京・本郷の東京大学の研究室。7つの縦長の大型液晶パネルが並べられた装置には、グーグルアース(立体的な街のつくりまで見える、グーグルによるデジタルの地球儀)による東京の高層ビル街の画像が表示されていた。装置の前に立つと、視界いっぱいに画像が広がる。渡邉さんが言う。 「大画面で見ると、没入感が違うと思います」

コントローラを操作すると、3D地図に古いモノクロの航空写真が重ねられた。建物が軒並み崩れ果て、大きな空き地が広がっているようだった。 「これは関東大震災が起きた直後に撮影された写真です」 現在の風景と同じ位置で過去の写真を見ると、平和な街にも大災害によって壊滅的な被害を受けた過去があったことがわかる。渡邉さんはこれまで戦争や災害の写真や映像に新しい技術を取り入れて、さまざまな表現を行ってきた。代表的なものが白黒写真のカラー化だ。 「2016年にカラー化AIが登場したときに、色がつくことで自分の受ける感覚が大きく変わることに衝撃を受けました」

そこで始めたのが、同じ日付の日に起きた出来事を伝える白黒写真を色づけしたものをTwitter(現在のX)で発信する活動だ。沖縄戦、広島と長崎への原爆投下、あるいは全国各地の空襲写真。渡邉さんは、当時のそうした写真を国内外から入手し、AIを使ってカラー化し、それらの情報をSNSで発信している。7月16日であれば大分空襲(1945年7月16日)のカラー化写真、7月26日であれば松山空襲(1945年7月26日)のカラー化写真をXで発信する。

「毎年、同じ写真を投稿していますが、そのたびに同じような感想をもらいます。初めて見た人もいるし、一度見た人でも記憶がよみがえるのだと思います。ただ写真を投稿するだけで終わるのではなく、写真をきっかけにたくさんの人たちと交流できることが重要です」 心がけていることは、デジタル技術を駆使することで、見る人がリアリティーをもって戦争を感じられるようにすることだという。 「モノクロがカラーになったり、3D技術で映像が立体化して見えたり。そうすることで、戦争が遠いことではなく、身近に感じられるようになる。いわば“他人事”から“自分事”に感覚が変わると、戦争とは何だったかを考えるきっかけになると思うのです」 もともと渡邉さんは戦争に関する研究者だったわけではない。大学卒業後、ソニー・コンピュータエンタテインメントに勤務し、ゲームソフトの開発をしていた。その後、大学教員に転身し、情報デザインやデジタルアーカイブの研究を進めていた。 すると、そんなデジタルアーカイブ作品を見た長崎の若者から声をかけられた。それがきっかけで、2010年、「ナガサキアーカイブ」を制作することになった。

「マップを生かしたデジタルアーカイブは、グーグルアースが誰でも使えるようになったことでつくりはじめました。以来、アーカイブに使うシステムを変えたり、文字情報や画像だけでなく3Dデータも配置できるようにしたりと、新しい技術をすぐに取り入れ、進化させています」 ナガサキアーカイブ以降、戦争や災害を伝えるための依頼や相談が盛んに持ちかけられるようになった。2011年のヒロシマアーカイブ、同年の東日本大震災アーカイブ、2012年の沖縄平和学習アーカイブ……。さまざまなデジタルアーカイブの制作につながっていった。

デジタル技術が戦争報道の新しいきっかけに

こうした戦争や災害のデジタルアーカイブは、テレビや新聞などの報道関係者からも注目を集め、デジタルコンテンツの制作やイベントなどを共同で実施するようにもなった。 2015年に、地方紙の沖縄タイムスと協力して、沖縄戦デジタルアーカイブ「戦世からぬ伝言」を制作。記者が戦争体験者に取材して得られた証言や生存者の足取りをデジタルマップに落とし込んだ。2023年8月には広島テレビなどと広島市内で、今年8月には長崎国際テレビなどと長崎市内で、戦争の光景を若い世代に伝えていくために「ミライの平和活動展 ~テクノロジーでつながる世界~」をそれぞれ共催した。

日本では毎年8月になると、戦争を振り返るテレビ番組や新聞記事が多く発表されるものの、最近は、視聴者や読者の関心が得られにくいとも伝えられる。 だが、渡邉さんは「日付に紐づけて毎年報道することの意味はあります」と理解を示す。 「戦争末期の日本では毎日どこかで空襲があり、多くの人が亡くなりました。それらを俯瞰したり、世界で起きている戦争と重ね合わせたりする報道があってもいいでしょう。経験者が少なくなったなかで、戦争の悲惨さを伝える新しい手段の一つとしてデジタル技術があると思います」 渡邉さんの取り組みから刺激を受け、現代の戦争をデジタルアーカイブ化した報道関係者も出てきている。

ウクライナの戦地を3D化

特設ページを開くと、ウクライナの首都キーウ近郊の地図が表示され、7つの場所が示されている。その下段には、それぞれの場所に対応した写真が表示されている。 クリックすると、衛星画像、3Dデータ、現地の写真を組み合わせた、より詳しい情報を伝えるスライドが現れ、インタビュー記事も掲載されている。2022年10月に公開された読売新聞オンラインの特設ページ「ウクライナ 戦時下の復興 キーウ近郊からの報告」だ。

「侵攻開始から約半年後のキーウ周辺の様子を取材し、侵攻直後に取得されたデジタルデータと比べ、戦争の悲惨さとともに現地の人たちのたくましさを伝えました。現地の人の声は私が取材してまとめました。それらと侵攻直後の生々しさを伝える3Dデータを組み合わせたデジタルコンテンツとしてまとめることができたのは、渡邉さんのおかげです」 そう語るのは、このページの制作を主導した読売新聞記者、梁田真樹子さん(43)だ。現在パリ支局に駐在している。 2022年2月24日、ロシアによるウクライナ侵攻が始まると、インターネット上には、戦況を伝えるさまざまな衛星画像や3Dデータが掲載された。渡邉さんはそれらの画像やデータが撮影、取得された場所を特定し、デジタルマップと重ねたものを連日、Twitterに投稿していた。すぐに世界の人たちと共同の「ウクライナ衛星画像マップ」プロジェクトへと発展した。 そんな渡邉さんの活動に注目した一人が梁田さんだった。 梁田さんは、デジタル技術に関心の高い社内の有志とともに定期的に勉強会を開いていた。2022年3月、勉強会のゲストとして招いたのが渡邉さんだった。勉強会の内容は「ウクライナ衛星画像マップ」プロジェクトにも及んだ。

戦争の現場で得られたデータを集めたアーカイブから伝わるリアリティーは、読売新聞の記者たちにも大きなインパクトを与えた。梁田さんは、現地取材を視野に入れて、渡邉さんと共同プロジェクトができたらと考えるようになった。 「これらのデータと、現場に行ったときに見たものを重ねたらどうなるか。そこにいる人の声を現地で取材し、そうしたデジタルコンテンツとともに届けたいというアイデアがあったので、どこかのタイミングで一緒に何かをつくりたいと思いました」 2022年4月、ロシア軍がキーウ近郊から撤退、その2カ月後、梁田さんは転勤でパリ支局に赴任した。会社からは夏以降のウクライナ取材の打診もあり、渡邉さんとのウクライナをテーマにしたプロジェクトがスタートした。

能登半島地震もすぐにデジタルマップに

8月から9月にかけて、梁田さんはウクライナに入って現地を取材。集めた情報をもとに、紙芝居をつくる要領で展開するストーリーを制作した。渡邉さんは受け取った写真や原稿と3Dデータを組み合わせ、コンテンツをつくっていった。梁田さんは振り返る。 「それぞれの強みを生かして、コンテンツに落とし込んでいったという感じです。私が思っていた以上のものが短時間でつくられていきました」

梁田さんができあがったコンテンツを上司に報告したところ、すぐに調整がおこなわれ、1カ月後に紙面の記事と連動する形で公開されることになった。 このコンテンツは評判を呼び、読売新聞は渡邉さんと連携を強めた。2023年4月から希望する社員が渡邉さんの下でデジタルコンテンツづくりを学ぶ「読売・渡邉研」がスタートした。2024年1月1日、石川県の能登半島マグニチュード7.6の巨大地震が発生した際には、読売・渡邉研のメンバーを中心に、「令和6年能登半島地震被災状況マップ」を制作し、その日のうちに公開した。 梁田さんは、デジタルコンテンツの制作には、新聞記者やカメラマンたちの表現の幅を大きく広げる力があると感じている。 「デジタルコンテンツは、膨大な取材成果をより有効に活用できます。戦争の報道についても、膨大な蓄積を生かした新たなコンテンツを生みだせると思います」

新しい伝え方で戦争や災害を伝え続ける

戦争や災害をデジタルアーカイブ化することは、紙からデジタルに移行するだけの変化ではないと渡邉さんは言う。

デジタルアーカイブに加工して、誰でもアクセスできる状態にするのが大切。戦争や災害の記録や証言に利用者が簡単に触れられるようになれば、そうした問題もより身近に感じやすくなる」 すると、デジタルの制作者側も変わっていくという。 「コンテンツをつくる過程で、発生した時間や場所など、いろいろと調べていく。すると、結果的にその出来事に詳しくなります。おもしろいことに、その人自身も語り部に変わるのです」 現在、渡邉さんの周りでは、戦争に興味を持ち、新しい伝え方を模索する若者たちが育っているという。 冒頭の中村さんは原爆の脅威を被爆地以外の場所で伝えるために、ARで渋谷の街なかにキノコ雲を出現させた。渡邉さんの研究室には、戦時中の古い写真の中に自身がアバターで入りこむ体験ができるプログラムをつくった人や、コンピュータゲーム「マインクラフト」を活用して戦争の悲惨さを感じてもらうイベントを企画した人がいる。 若い人たちの新しい伝え方が、戦争を錆びない情報にさせていくのではないかと渡邉さんは言う。 「僕らもだんだんと年を取ってくるので、一度成功した方法でも、将来、子どもたちには伝わらなくなります。若い人たちが新たな手法を生み出し、表現の仕方も一緒に、より若い世代に手渡していくことが大切だと感じています」 --- 荒舩良孝(あらふね・よしたか) 1973年、埼玉県生まれ。科学ライター/ジャーナリスト。科学の研究現場から科学と社会の関わりまで幅広く取材し、現代生活になくてはならない存在となった科学について、深く掘り下げて伝えている。おもな著書に『生き物がいるかもしれない星の図鑑』『重力 波発見の物語』『宇宙と生命 最前線の「すごい!」話』など。 --- 「#戦争の記憶」は、Yahoo!ニュースがユーザーと考えたい社会課題「ホットイシュー」の一つです。戦後80年が迫る中、戦争当時の記録や戦争体験者の生の声に直接触れる機会は少なくなっています。しかし昨年から続くウクライナ侵攻など、現代社会においても戦争は過去のものとは言えません。こうした悲劇を繰り返さないために、戦争について知るきっかけを提供すべくコンテンツを発信していきます。