北方領土洋上慰霊 ロシアは墓参再開に応じよ 編集委員・常盤伸(2024年10月9日『東京新聞』)

 ロシアに不法占拠されている北方四島周辺の海上で、旧島民らが船上から先祖を弔う「洋上慰霊」(「千島連盟」など主催)に8月下旬、参加する機会を得た。故郷の島を訪れ墓参する機会すら奪われたのは国際秩序を揺るがすウクライナ侵攻という暴挙のためだ。対ロ制裁を行う日本への報復として冷戦時代の60年前から続いてきた人道措置も拒否する状況が続いている。
 根室海峡を進む交流船「えとぴりか」の甲板からは、国後島の泊山や羅臼山の山影がくっきりと見えた。旧島民らは、甲板に設けられた祭壇に向かって手を合わせた。国後島泊村出身の佐藤明子さん(83)は船内の食堂で旧住宅地図をテーブルに広げ村の生活の様子を話してくれた。ソ連侵攻当時は4歳だったが、豊かな自然に恵まれ平和だった泊村の記憶は今も鮮明だ。赤軍兵士の上陸後、小さな船で母親らと一緒に根室に向けて脱出した。
 佐藤さんはソ連軍侵攻で島を追われた自身とロシアの侵略で苦しむウクライナの子どもたちを重ね合わせる。「ニュースを見ていると悲しい。ウクライナの子どもたちの逃げ惑う姿が自分(と同じ)だなと思えて」。佐藤さんは船内での交流会でそう話した。
 ところがロシアではウクライナ侵攻以降、幼稚園から大学まで若い世代に愛国主義を喚起し侵略に駆り立てる軍国教育が徹底されている。プーチン政権は欧州入りを目指すウクライナを破壊し続け、欧米と一致して対ロ制裁を続ける日本に関して「軍国主義の復活」などと荒唐無稽なプロパガンダを内外で発信する。帝国復活をもくろむプーチン大統領にとって、極東で日本から奪取した「南クリル諸島」、つまり北方領土は、対ナチスドイツ戦で勝利し併合した欧州の飛び地カリーニングラードと並ぶ戦勝の象徴だ。
 政権は最近、日本にとってさらに憂慮すべき動きを示す。千島列島と北方領土侵攻を英雄的な戦いの歴史として神格化する構想を練っているのだ。プーチン氏は9月に極東ウラジオストクで行われた東方経済フォーラムで、千島列島北東端のシュムシュ島(占守島)の「上陸作戦の記憶を永続化させる」として、博物館の建設構想を表明した。ウクライナ侵略が当初のもくろみを超えて長期化する中で、国民の愛国意識を高揚させて政権の正統性を維持し、国民統合を進める上で、「愛国神話」をさらに強化する必要があるからだ。
 旧島民の高齢化が著しい中、日本政府は墓参再開を日ロ関係の最優先課題として対ロ交渉を行っているが、交渉は平行線のままだ。プーチン政権はこの問題を外交カードに日本を揺さぶる姿勢だ。しかし、ロシアに運命を翻弄(ほんろう)され辛酸をなめてきた旧島民の大多数も、安易な日本の譲歩は決して望んでいない。プーチン政権は人道上の措置として、無条件に墓参の早期再開を認めるべきだ。